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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

2015-08-11から1日間の記事一覧

『政宗記』7-12:須田訴人事

『政宗記』7-12:須田伯耆の訴え 原文 かかりけるに、氏郷大崎へ働き出名生の城を攻落し、松森へ引上給へば、政宗家に須田伯耆と云いける者、何と気遣ひけるやらん、蒲生四郎兵衛と云氏郷家老者を頼み、「今度一揆へ政宗も内通して、已に氏郷を討果さんと云…

『政宗記』7-11:秀吉公奥州下向附大崎・葛西一揆事

『政宗記』7-11:秀吉公の奥州下向と大崎葛西一揆のこと 原文 去ば秀吉公、北条氏政へ「其方自害ならば、子息氏尚をば出城させん」と宣ふ。故に氏政切腹し給ひ、小田原一宇落居の上、秀吉公会津へ下向し給ふ事、其聞こへに依て、政宗米沢より御迎に出給ひ、…

『政宗記』7-10:会津より米沢へ本意の事

『政宗記』7-10:会津から米沢へお帰りになられたこと 原文 去程に、政宗下向の刻、浅野弾正少弼の親類に、同苗六右衛門と申せし人を差副、会津を受取御検使にて下り給ふ故に、六右衛門を様々馳走し給ひ、会津を渡し御身は本の米沢へ移し給へり。然るに、大…

『政宗記』7-9:底倉矢田野欠落

『政宗記』7-9:底倉での矢田野の脱走 原文 仙道岩瀬の郡矢田野の城主、伊豆は須賀川へ一味たりと云ども、右にも申す彼地落城以来は、政宗へ懇望いたし、城の矢田野と大里と云両城ともに差上、本領三ケ一に成て会津に相詰奉公の筈也。故に矢田野をば破却し給…

『政宗記』7-8:会津にて騒げる事附平田忠節

『政宗記』7-8:会津にて騒動があったことと、平田の内応 原文 かかりける処に、小田原留主の内に、三夜程会津中以の外騒ぎける由、成実は其事存ぜぬ処に、宝尺と云山伏、成実に語りけるは、「会津騒ぎ夜に入ければ、方々へ荷物を隠し、昼の商も好物をば出さ…

『政宗記』7-7:秀吉公へ御目見の事

『政宗記』7-7:秀吉公へ面会なされたこと 原文 然れば秀吉公、御陣場は小田原一宇目の下なる山也。然るに、彼の山を要害に取立、石垣を仰せ付らる。故に御身も曲隶に腰を掛られ、扨御前には家康・利家を始め、各諸大名衆詰られける。其場に於て、政宗御礼仕…

『政宗記』7-6:太閤秀吉公小田原御発向

『政宗記』7-6:太閤秀吉が小田原に向かい出発したこと 原文 去程に主君信長公への謀反人、明智日向守を討随ひ、其天命を以て四国・鎮西・中国に至る迄残りなく治め、天下を掌の中に握り給ひし上は、今より関東、夫より陸奥国へと志し、天正十八年に小田原北…