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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

2018-08-10から1日間の記事一覧

『政宗記』5-8:岩城へ景綱使者附成実異見

『政宗記』5-8:岩城へ景綱が使者となったことと成実の意見 原文 去ば今度対陣の無事を、常隆扱ひ給ひ相済ければ、自今以後仰合らるるのためにとて、景綱を岩城へ遣し玉ふ。大森迄罷帰と承、岩城の体を尋ね聞んがため、成実二本松より大森へ参る。故に景綱語…

『政宗記』5-7:三春番代附浪人払

『政宗記』5-7:三春の城代をさだめたことと浪人払いについて 原文 同八月十九日、田村月斎・同名梅雪・従弟右衛門・橋本刑部、宮森へ来て、「今度相馬義胤三春を取るべく、兵乱も北の方本城におはして、内通の故也、去程に北の方を隠居なさせ参らせ、政宗公…

『政宗記』5-6:最上より泉田安芸返し給事

『政宗記』5-6:最上から泉田安芸重光をお返しになられたこと 原文 去ば右にも申す、安積の軍前に最上義顕、両国境鮎貝藤太郎を語らひ、米沢へ手切なれば、今最上との戦なり。爾るに、義重・義広伊達へ再乱して、仙道へ発向し給ふ故に、政宗最上をば差捨、安…

『政宗記』5-5:岩城より無事扱事

『政宗記』5-5:岩城による和睦が成ったこと 原文 去程に佐竹義重は、岩城常隆・政宗扨成実には伯母聟なり、故に会津義広は、義重の次男にて、常隆・政宗へも従弟なり。爾るに、天正十三年乙酉十一月十七日に、義重本宮へ働き給ふに、会津・岩城・石川・白川…

『政宗記』5-4:窪田番手持附矢文事

『政宗記』5-4:窪田の守備の組み合わせと矢文のこと 原文 されば伊達より窪田に、取手やらひを取立給ひ然るべしとて、窪田の川を外に構ひ堀を堀、土手を築、柵を付けり。故に伊達の侍大将各召寄給ひ、取手の番を鬮取にさせ玉ふ。其衆は浜田伊豆・原田左馬介…