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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

2018-09-07から1日間の記事一覧

『伊達日記』30:黒川月舟斎について

30:黒川月舟斎について 原文 一 黒川月舟逆意の底意は、月舟伯父式部大夫を、輝宗公御代に御奉公に上げられ候飯坂の城主右近大夫息女に誓約仕、名代を相渡すべき由申合され候へども、息女十計の時分三十計の人に候間、今に祝言之無く候。右近大夫存分には年…

『伊達日記』29:評定にて

29:評定にて 原文 一 天正十六年正月十六日大崎へ仰付られ候御人数、伊達上野介、泉田安芸守両大将に仰付られ、粟野助太郎、長井月鑑、高城周防守、大松沢左衛門、宮田因幡、飯田三郎、浜田伊豆、軍奉行小山田筑前、御横目に為しめ、小成田惣右衛門、山岸修…

『伊達日記』28:弾正の苦悩

28:弾正の苦悩 原文 一 弾正所存に、不慮の儀を以普代の主君を相背、伊達殿へ御奉公仕候。天道も恐敷存候。流石に主君の御子勝三郎を某引立、政宗公へ参傍輩に成り奉る事も天命も口惜しく、仏神三宝にも放奉るべきと感て、中新田の御留守居南條下総所迄正三…

『伊達日記』27:名生城の様子

27:名生城の様子 原文 — 名生の城は義隆新田へ御越以来明所に成候を、義隆の御台と御子正三郎殿御袋に御東と申御方二人をば人質に名生の城に押置、御守には弾正親三河守、伊場惣八郎を指添差置申候。 語句・地名など 現代語訳 一、名生の城は、義隆が新田へ…

『伊達日記』26:氏家弾正の内応

26:氏家弾正の内応 原文 氏家弾正所存には、扨々移ればかはる世中にて刑部少一党伊達を賴入義隆へ逆意を存立砌は、私一人御奉公を存名生の御城籠城なさるべく候間、岩出山を引移御切腹之御供仕るべき由存詰候処に、案の外義隆我等を御退治ならるるべき御企…

『伊達日記』25:大崎の内紛

25:大崎の内紛 原文 一 天正十四年二本松、塩の松御弓矢落居の上、八月米沢へ御納馬成られ候処に、大崎義隆家中二つに分候て政宗公へ申寄候。根本は其比大崎義隆に奉公の小姓、新田刑部少輔と申者之事外出頭仕候。然処に如何様の表裏も候哉。本の様にも之無…