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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

2019-07-29から1日間の記事一覧

『伊達日記』96:九戸攻め

『伊達日記』96:九戸攻め 原文 一浅野弾正殿。石田治部少殿。登米へ御着候間。政宗も登米へ御出御在陣候処に。上方衆御人数南部へ下候間。政宗も九ノ閉迄御下向。上方衆九ノ閉責落し御のぼり候。政宗公も御八丁目迄弾正殿御同道なされ米沢へ御帰城なり。 語…

『伊達日記』95:鷂所望

『伊達日記』95:鷂所望 原文 一太閤様会津へ御下。会津仙道蒲生飛騨殿へ下され候。木村伊勢守。葛西大崎拝領申され候而二本松を御通候。我等鷂所望の由に候間。一居持候を居させ湯井門(油井門)まで追懸会申候へば。葛西大崎拝領仕罷下候。鷹所望の由に候…

『伊達日記』94:宇都宮下向

『伊達日記』94:宇都宮下向 原文 小田原落居の上。太閤様会津へ御下向の由申来候に付て。政宗公米沢より御迎に御出。宇都宮にて御目見え成られ候処に。御囲を成され御茶を進ざる。片倉小十郎を御相伴に仰付らる。冥加之至に候。南部へ御人数遣はされ候間。…

『伊達日記』93:大里城攻め

『伊達日記』93:大里城攻め 原文 政宗公御下向の砌。木村伊勢守御小指南に候。浅野弾正殿親類浅野六右衛門と申もの差添られ会津を請取申すべき由仰付られ候。色々御馳走成られ政宗公米沢へ御移候。其時分迄大里落居申さずに付。片倉小十郎我等長井の人数迄…

『伊達日記』92:会津での騒動④

『伊達日記』92:会津での騒動④ 原文 政宗公会津へ御下着前の夜。御飛脚を以小荒田隠岐成敗仕るべき由仰下され候。此ものは須賀川落城以後我等を頼御免をかふふり候者にて候間。矢田野が会津を明渡され候者。欠落仕るべきと思し召され候と見え申候。それに付…

『伊達日記』91:会津での騒動③

『伊達日記』91:会津での騒動③ 原文 一須賀川落城の後。矢田野伊豆召出され候時分。大里と申城は召上られ小嶋右衛門差置かるるべき由御意候而破却も成られず。矢田野をば破却なられ。伊豆は若松に相詰。小田原へも御供申候。底倉に御座成られ度々きびしく御…

『伊達日記』90:会津での騒動②

『伊達日記』90:会津での騒動② 原文 一本会津奉公の者夏井藤左衛門と申者。横田警固差置かれ候処に。越後へ申合横田を取らせしめ申すべき企に候由平田勘左衛門と申もの我等に聞こしめさしめ申候。政宗公御下向に候者。彼知行下され候様に頼申由に候。奇特の…

『伊達日記』89:会津での騒動①

『伊達日記』89:会津での騒動① 原文 会津御留守の内。二三夜程さはぎ候よしに候。我等は存ぜず候処に。宝尺と申山伏我等所へしらせ申候は。若松中以の外さはぎ。夜に入候へども方々へ荷物を落。昼の商も能様なる物は出し申さず候由申候。如何様の義を以さは…

『伊達日記』88:秀吉との対面

『伊達日記』88:秀吉との対面 原文 一小田原御陣所に石垣御普請成られ候半に。芝居にて太閤様曲録に御越をかけられ家康。利家を始大名衆余多御座候。御礼成られ御帰有るべきと思召候処に。政宗と二聲御意候而小田原の城の見え候方へ御向。御杖を以て地を御…

『伊達日記』87:大崎について

『伊達日記』87:大崎について 原文 一大崎の義は境論仕弓矢に罷成候。佐竹。会津。岩城不和に罷成候事は先達申上候通に候由仰上られ候。太閤様。政宗をば方々より憎み候由御意成られ。会津取候慮外に思召候間。召上らるるべく候。本領御別儀有間敷候間御礼…

『伊達日記』86:相馬について

『伊達日記』86:相馬について 原文 一相馬は我等親代には弓矢に候へども。無事に罷成懇切に候処に。田村の清顕と申者我等舅に候。相果彼地主御座なく候。田村近所に石川弾正と申者拙者家中にて候。相馬義胤を頼逆意仕候。退治仕る所に。義胤。弾正抱の地へ…

『伊達日記』85:最上について

『伊達日記』85:最上について 原文 一最上敵に罷成候は。我等近習鮎貝藤太郎と申ものを引付。義顕手切申され候刻はたらき候付。藤太郎退出最上へ罷越。于今罷有候由承に及候。 語句・地名など 現代語訳 「最上が敵になったのは、私の近習であった鮎貝藤太郎…

『伊達日記』84:小田原参陣

『伊達日記』84:小田原参陣 原文 一天正十八年太閤様小田原へ御陣の由申来候に付。遠藤不入斎差登られ候処に。家康公。浅野弾正殿。加賀筑前殿いづれも御念比衆より不入斎相返さる。政宗早々御登然るべき由御異見に候。会津御手に入候以来越後と御弓矢に罷…