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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

原文

『成実記』13:粟之巣事変

『成実記』13:粟之巣事変 原文 一、十月六日の晩。輝宗公政宗公の御陣屋へ御出成られ候而。御台所へ家老衆へ召寄られ。義継御詫言之様子御訴訟成られ候。我等若輩に候得共召加えられ候事は。御使者親仕候間。義継へ之御使仕るべき由輝宗公仰付られ候。我等…

『成実記』12:義継の頼み

『成実記』12:義継の頼み 原文 一、同月二十六日。政宗公小浜城へ御馬移され候処。二本松義継より我等親実元へ仰され候は、代々伊達を頼入身上相立候得共。近年会津・佐竹・岩城・田村へ御弓箭に候。我等も清顕公へ御恨之儀候て会津・佐竹御味方を仕度候。…

『成実記』11:塩松を入手

『成実記』11:塩松を入手 原文 一、小浜に於いて助之衆相談には。岩角取られ候はば。引除候事。成間敷候由申候。会津衆大内備前へ異見申候は。今日政宗公岩角を通御覧成られ候。彼城をとらせらるべき由に。思召候と現見得候と。申され候はば。何れも引除候…

『成実記』10:岩角への移動

『成実記』10:岩角への移動 原文 一、二十五日いはつのへ御働成られ。地形を打通し御覧成られ。近陣か御責候か。彼地を取りなされ候得ば。二本松の通路不自由に成候間。明日相移さるべき由。御評定極り又黒籠へ打帰られ候。 語句・地名など いはつの:岩角 …

『成実記』9:小瀬川の戦闘

『成実記』9:小瀬川の戦闘 原文 一、黒籠より二十四日。からはの内と申城へ御働成られ候。彼地へ二本松衆助入候。少々内より人数を出し合戦候得共。強くも成られず候故。武別仕候而其日は何事も之なく黒籠へ打挙げられ候。築立に差置かれ四人之衆も。小瀬川…

『成実記』8:政宗、田村領へ

『成実記』8:政宗、田村領へ 原文 一、清顕公より仰越られ候小浜には。助之衆多人数と申其上塩松の者共。方々より引除候而小浜へ計集候間。御働成られ候御手際有間敷候條。田村へ御通成られ備前抱の小城共を。御取成られ然るべく候。御理に付而築館を。九月…

『成実記』7:八丁目境について

『成実記』7:八丁目境について 原文 一、ヶ様に塩松は御弓箭に候得共。八丁目に我等親居申候処。二本松境は事切これなく候。其子細は右に書付候如く。強処へ身上を持相立候に付而。義継大内備前に加勢成られ候共。伊達の弓矢募候はば。伊達へ御詫申すべく分…

『成実記』6:青木修理の人質交換

『成実記』6:青木修理の人質交換 原文 一、築館に御逗留中。青木修理抱置候右三人之者之儀。小浜へ内通申候に付而。大内備前も修理弟子を。相捨候事も成らず候而日限を申合。小瀬川と申処へ双方より罷出。御横目を申請弟新太郎と子を受取。九郎四郎新八郎次…

『成実記』5:竹屋敷への移陣と撫で斬り

『成実記』5:竹屋敷への移陣と撫で斬り 原文 一、翌二十七日。昨日竹屋敷へ陣を移し。通路迄切申すべく候と申上候処に。半分は然るべき由申候得共。落合申さず候余りあらき道にはこれなく候條。御意を詰めず候得共。未明に竹屋敷へ陣を越候に付。伊達上野我…

『成実記』4:青木修理の内応と小手森攻め

『成実記』4:青木修理の内応と小手森攻め 原文 一、天正十三年七月始に。米沢へ拙者使者上候而。猪苗代之儀相違仕り迷惑に存候。会津に御手際御座なく候間。大内備前を御退治成られ然るべしと御尤に思召候は。備前家中之内御奉公仕候様に。一両人も申し合わ…

『成実記』3:二本松の状態と猪苗代盛国の内応条件

『成実記』3:二本松の状態と猪苗代盛国の内応条件 原文 一、会津へは御事切候得共。二本松境は手切もこれなく。八丁目に私親実元隠居仕候処へ。二本松義継より細々使を預り御念頃に申。其子細は会津・佐竹は御味方に仕候得共。本々より二本松・塩松は。田村…

『成実記』2:大内氏の対応と猿倉越の敗戦

『成実記』2:大内氏の対応と猿倉越の敗戦 原文 一、天正十三年正月に成。大内備前申上候は。雪深普請成難く候間。御暇申請罷帰妻子を召連。支度をいたし伺公申すべく候。其上数年佐竹・会津御恩賞相請候。御礼をも申上度と申候に付。御暇下され其後雪消候へ…

『成実記』1:政宗の家督相続と大内定綱

『成実記』1:政宗の家督相続と大内定綱 原文 一、輝宗公御代々。佐竹・会津・岩城・石川。何も御好身半にて御入魂也。右各数年田村へ御弓箭成られ。清顕公御手つまりに成候。政宗公之御舅に御坐候得共。輝宗御代故是非に及ばず御坐成られ候。然る処に。政宗…

『白達記』白石宗直と伊達成実の争論

『白達記』は、白石家に伝わる家記をまとめたもの。野村紘一郎『白達記 登米伊達伝承禄/登米藩史料第2集』日野廣生/2004として刊行されています。 二段組になっていて、上に原文、下に現代語訳、後に補注がついており、とても読みやすい本です。今回は、そ…

政宗の和歌①

政宗は和歌・漢詩を愛し、多くの詩歌を残しました。 『文武名将伊達政宗卿詩歌要釈』から、政宗の歌を書き出してみました。載っているだけで561首。 で、他の本に載っていて、ここに載っていない歌もあります。 本によって漢字や細部が違っているものもある…

『名語集』11:能見物の仕方

『名語集』11:能見物の仕方(能見物の仕方) 原文: 一、或時の御咄に、「かりそめにも能などは易からぬ儀なり。太夫翁をかけ、惣役者烏帽子著る事、唯常の事になし。第一、我が身の祈祷なれば、身をきよめ、行儀よくして、座敷中高聲もせぬ様に、三番四番…

『名語集』10:刀脇差のたしなみ

『名語集』10:刀脇差のたしなみ(刀と脇差の嗜み) 原文: 一、或時の御咄に、「惣別、刀・脇差は、昼夜に限らず、まして気などの重き時は、幾度も抜いて見てぬぐひ、鼻と手にあてなどしてさしたるは、心地よき物なり。人の刀に、焼のよきと聞いては、うら…

『名語集』9:刀脇差の鞘柄

『名語集』9:刀脇差の鞘柄(刀脇差の鞘と柄) 原文: 一、或時の御咄に、「男の命は刀・脇差なる間、鞘をよくして、ねたばをつけて、刃の抜けぬ様に、鞘止よくしてさせ。主の用にもたち、我が為にもなるなり。油断勿体なし。さいさい手討などする時も、常に…

『名語集』8:脇差の下緒を帯にはさむ

『名語集』8:脇差の下緒を帯にはさむ(脇差の下緒を帯にはさむ) 原文: 一、常々御意遊ばされ候は、「脇差は、是非、下緒を帯にはさみたるがよきなり。昔より数多覚えの候が下緒はさまぬ故、鞘間々抜けて、怪我したる事、幾度もあり。鞘止よくして、下緒帯…

『名語集』7:万事に気を付く

『名語集』7:万事に気を付く(すべてのことに気を付ける) 原文: 一、或時の御咄に、「人は只、高下共に、万事気を付くる事、第一なり。たとへば、主君の用事か自身の用にても、余所より宿にかへる時は、供の者一人もあらば、屋敷の前よりさきにつかはし、…

『名語集』6:常に手を清む

『名語集』6:常に手を清む(常に手を綺麗にしておく) 原文: 一、或時の御咄に、「奉公人は、上下共に手を清むるという心持、肝要なり。近き事にいはば、不断召使ふ小姓ども、我が前へ出づる時、手を清めて出づれば、髭を抜け、髪をなでよ、刀を持てといふ…

『名語集』5:身なりを慎む

『名語集』5:身なりを慎む(身なりを慎む) 原文: 一、或時の御咄に、「常世とて、老若共に、髪ふたふたとだてに結ひ、帯を引き下げて、身にもあはぬ裄を長く、袴をはねさせ、直刀差し、滑り道をも反りて歩く。これ一つとして羨む所なし。先づ、年寄りたる…

『名語集』4:無体とぬるきことを嫌ふ

『名語集』4:無体とぬるきことを嫌ふ(むやみに判断が遅いことを嫌う) 原文: 或時の御咄には、「人は、只第一、無体とぬるき事嫌ふべし。上下共に、心に慇懃を絶やす事なく、ぬるき事なき様に仕り、拍子抜けぬ様に、何事によらず実にとすれば、見たる所も…

『名語集』3:召使の利鈍

3:召使の利鈍(奉公人の利発なことと愚鈍なこと) 原文: 一、或時の御咄には、「世上にて人々の人を召使ふに、これは利根者、鈍なる者とて、分けて召使ふ。たとへば、当座の浪人者たりといふとも、物事、其の主人の気に入れば、これこそ利根者とて能くつか…

忠宗振姫婚姻・太鼓鐘貞宗について

『伊達治家記録』元和三年十二月十三日〜十八日条より。 原文 十二月十三日甲辰。公方(秀忠)御養女源振姫御年十一嗣君(忠宗)へ御婚礼、申刻(午後4時)御城より御入輿、土井大炊助殿利勝・渡辺山城守殿茂・伊丹喜之助殿康勝を差副らる。大御番組頭丸毛兵…

『世臣家譜』片倉家:片倉重長(重綱)

『世臣家譜』片倉家、二代片倉重長の分です。 二代:片倉重長(かたくらしげなが) 天正12年12月25日(1585年1月25日)〜万治2年3月25日(1659年5月16日) 戒名:真性院一法元理居士 書き下し文 景綱子備中守(小字弥左衛門、又左門又は小十郎又は伊豆守又は…

『世臣家譜』片倉家:片倉景綱

『世臣家譜』より、片倉家の記述を掲載します。とりあえず初代景綱のみ。 初代:片倉景綱(かたくらかげつな) 弘治3年(1557年)〜元和元年10月14日(1615年12月4日) 法名:傑山常英大禅定門 書き下し文 片倉、姓は藤原、其先は知らず。伝えて言う、大織冠…

『木村宇右衛門覚書』119:仙台城西郭で能「実盛」を観劇したこと

『木村宇右衛門覚書』119:仙台城西郭で能「実盛」を観劇したこと 原文 一、有時、御西郭の御庭の桜盛りを御待之御能仰せ付けられ候。御役者一年御国に詰候へ共、能などは儀式正しからざれば見られぬ物と思し召す也。下々へ振舞に行囃子など有は、亭主により…

『木村宇右衛門覚書』60:父輝宗の不慮の死

『木村宇右衛門覚書』60:父輝宗の不慮の死 原文 一、有時御咄には、御東はかく恐ろしき御人なりければ、いよいよ輝宗へ御馴染み深きに、あへなき御最期、語るに語られぬ程也。二本松殿色々申さるるによって、輝宗公へ無事のうへ、陣屋へ二本松殿見舞候はん…

『木村宇右衛門覚書』27:天正一七年須賀川合戦の撫で斬り

『木村宇右衛門覚書』27:天正一七年須賀川合戦の撫で斬り 原文 一、有時の御咄には、人取橋大合戦以来、所々方々御手に入中に、須賀川手に入らず、我等伯母のおはしまし候間、いろいろさまざま教訓申せども受け給はず。剰へ方々へ廻文をまわし妨げ給ふの間…