[sd-script]

伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

原文

『伊達日記』30:黒川月舟斎について

30:黒川月舟斎について 原文 一 黒川月舟逆意の底意は、月舟伯父式部大夫を、輝宗公御代に御奉公に上げられ候飯坂の城主右近大夫息女に誓約仕、名代を相渡すべき由申合され候へども、息女十計の時分三十計の人に候間、今に祝言之無く候。右近大夫存分には年…

『伊達日記』29:評定にて

29:評定にて 原文 一 天正十六年正月十六日大崎へ仰付られ候御人数、伊達上野介、泉田安芸守両大将に仰付られ、粟野助太郎、長井月鑑、高城周防守、大松沢左衛門、宮田因幡、飯田三郎、浜田伊豆、軍奉行小山田筑前、御横目に為しめ、小成田惣右衛門、山岸修…

『伊達日記』28:弾正の苦悩

28:弾正の苦悩 原文 一 弾正所存に、不慮の儀を以普代の主君を相背、伊達殿へ御奉公仕候。天道も恐敷存候。流石に主君の御子勝三郎を某引立、政宗公へ参傍輩に成り奉る事も天命も口惜しく、仏神三宝にも放奉るべきと感て、中新田の御留守居南條下総所迄正三…

『伊達日記』27:名生城の様子

27:名生城の様子 原文 — 名生の城は義隆新田へ御越以来明所に成候を、義隆の御台と御子正三郎殿御袋に御東と申御方二人をば人質に名生の城に押置、御守には弾正親三河守、伊場惣八郎を指添差置申候。 語句・地名など 現代語訳 一、名生の城は、義隆が新田へ…

『伊達日記』26:氏家弾正の内応

26:氏家弾正の内応 原文 氏家弾正所存には、扨々移ればかはる世中にて刑部少一党伊達を賴入義隆へ逆意を存立砌は、私一人御奉公を存名生の御城籠城なさるべく候間、岩出山を引移御切腹之御供仕るべき由存詰候処に、案の外義隆我等を御退治ならるるべき御企…

『伊達日記』25:大崎の内紛

25:大崎の内紛 原文 一 天正十四年二本松、塩の松御弓矢落居の上、八月米沢へ御納馬成られ候処に、大崎義隆家中二つに分候て政宗公へ申寄候。根本は其比大崎義隆に奉公の小姓、新田刑部少輔と申者之事外出頭仕候。然処に如何様の表裏も候哉。本の様にも之無…

『伊達日記』24:清顕の死

24:清顕の死 原文 一 同霜月清顕公御煩死成られ候。政宗公も福島迄御出成られ、田村へ御使者を以仰届られ即御帰城候。 語句・地名など 現代語訳 一、天正14年11月、田村清顕公が突然お亡くなりに成られました。政宗公も福島まで出られ、田村へ使者を送られ…

『伊達日記』23:合戦後処理

23:合戦後処理 原文 一 塩の松は白石若狭拝領申され、御加増に下され候処も数多御座候。二本松は我等に下され、大森は片倉小十郎拝領申され、八月始米沢へ御馬を移され候。安積表は御無事の分にて往来の者も送を以罷通候体に候。 語句・地名など 現代語訳 …

『伊達日記』22:二本松開城

22:二本松開城 原文 一 政宗公少々御機合然る無く候に付、二本松への御合戦相延、四月始に御働候。近陣成られ候事。去年のごとく佐竹、会津、岩城より御出馬候はば城を巻ほぐし候事如何と思召され、北南東より五日御働成られ候へども内より一人も出ず候。や…

『伊達日記』21:二本松衆の内応

21:二本松衆の内応 原文 一 同年二月二本松の三ノ輪玄蕃、氏家新兵衛、遊佐丹波、同下総、堀江越中所より政宗公へ三之輪屋敷御人数御入候。地形も能候間御勢遣わさるべく候。二本松を取らせ、申すべき由申し上げ、人質を指上申候條御人数を夜中に遣わされ候…

『伊達日記』20:渋川合戦

20:渋川合戦 原文 一 天正十四年渋川に我等居候処へ、元日に二本松より昼時分乗懸候様に働候か。先へ馬上一騎、歩者十人計参陣。場の末にて水汲候者どもを追廻候所へ内より出合戦候。二本松への海道に小山候て柴立にて道一筋を追候て参候処に、柴立の後に馬…

『伊達日記』19:合戦の褒賞

19:合戦の褒賞 原文 一 十七日晩は政宗公も岩津野へ引上られ候。夜半比山路淡路御つかひとして御自筆の御書下され候。今日敵の後にて合戦仕敗北仕らず候事聞召され、伝へたることもなく不思議の様子是非に及ばず候。一身の働にて大勢のものども相助候。定て…

『伊達日記』18:人取橋合戦

18:人取橋合戦 原文 一 霜月十日比、佐竹義重公・会津義広公・岩城常隆公・石川昭光公・白河義近公仰せ合わされ、湏加川へ御出馬成られ、安積表伊達奉公の城々御責成られ、中村と申城責落せられ候。右之通小浜へ申来るに付、政宗公岩津野へ御出馬なられ、高…

『伊達日記』17:二本松籠城

17:二本松籠城 原文 一 会津抱の高玉阿子島より深山づたひに二本松へ通路仕候に付、城成とも成られ度思召され候へども、義広、義重、常隆出馬の御気遣にて成られぬ由候上、髙山にて通路に人数も候へども通らず候。人数之なきに付ては□見切通候間、米以下絶…

『伊達日記』15:輝宗生害事件

15:輝宗生害事件 原文 一 六日の晩。輝宗公政宗公之御陣屋へ御出、御台所へ家老衆召寄られ義継御侘言の様子御相談成られ候。我等若輩に御座候へども、此使い我等親仕候に付、義継への御使仕るべき由輝宗公仰付られ候。ケ様の大事の御使如何の由色々申上候へ…

『伊達日記』14:畠山義継との交渉

14:畠山義継との交渉 原文 一 廿六日政宗公小浜之城へ御馬移され候処に、二本松義継より実元所へ代々伊達を頼入身上相立候へども、会津・佐竹・岩城より田村へ近年御弓矢に候。我等も清顕公へ御恨候て会津佐竹へ一味仕候。去乍銘々首尾を存、輝宗公相馬へ御…

『伊達日記』13:小浜自焼

13:小浜自焼 原文 一 小浜にて助勢共、岩津野を取られ候は、引除候事成間敷由相談申さる。会津衆備前へ申され候は、今日政宗公岩津野を召廻し御覧候ば彼城を御取在るべき由思召され候と見え申候。彼城を取申され候はば、何も引除候事成間敷候間、今夜引除然…

『伊達日記』12:岩角への移動

12:岩角への移動 原文 一 廿五日岩津野へ御出馬成られ、地形を御覧成られ、近陣か御責候か、彼城を御取候へども、兎角敵二本松へ通路不自由に罷成候間、明日御陣を相移さるべき由御評定、先黒かこへ御入馬成られ候。 語句・地名など 現代語訳 一、25日政宗…

『伊達日記』11:4人の移動

11:4人の移動 原文 一 築飯に残置かれ候四人の衆も、小瀬川と申処へ働候処に、政宗公御働遅候処に、小十郎漸二百計の手前の者にて、小浜近所迄参候。小浜の人数に押立られ、小瀬川迄五里計逃懸り候。四手の衆川を越合戦御座候。小浜衆五六百騎参候へども、…

『伊達日記』10:9月24日攻撃

10:9月24日攻撃 原文 一 廿四日をうはの内と申城へ御働候処に、彼地二本松衆助入候。少の内より人数を出し、合戦候へども、強も罷り成らず候。物別仕黒かこへ打上候。 語句・地名など をうはの内:大波内 現代語訳 一、24日、大波内という城をお攻めになっ…

『伊達日記』9:政宗、田村領へ

9:政宗、田村領へ 原文 一 清顕公より政宗公へ仰遣され候。小浜は多人数に候。其上方々より引除候者共、小浜へ集候間、御働成られ候えども、思召の儘に在間敷間田村へ御廻り、備前抱の小城共を御取成られ然るべき由御理に付而九月廿二日に築飯を御立。田村…

『伊達日記』8:二本松境について

8:二本松境について 原文 一 二本松境へは今は御手切も御座なく候。実元分別には、会津仙道より四本松へ助候諸勢。田村は敵にて二本松領中打通申候。義継へ会津以下の衆疑心申され候様にと存ぜられ境をしずめ、跡々の如く、二本松よりも入魂の体候。其存分…

『伊達日記』7:青木修理の証人替え

7:青木修理の証人替え 原文 一 築飯に御在馬の内、青木修理抱置候三人の者儀小浜へ内通に付、大内も人質返し候事無念に存ぜられ候へども、家老の者共の子を相捨候事も成らず候間、小瀬川と申処へ双方より罷出、御横目申請証人替仕候。 語句・地名など 現代…

『伊達日記』6:竹屋敷移陣と小手森攻め

6:竹屋敷移陣と小手森攻め 原文 一 廿七日昨日はまちまちにて落居申さず候へども、我等存分悪は之有る間敷と存。御意をも請けず、未明竹屋敷へ陣を移申候間、伊達上野介我等に引続陣を移申され候に付、惣陣を相詰べき由仰付られ、惣人数は備を立、夫兵は野…

『伊達日記』5:青木修理の内応

5:青木修理の内応 原文 一 同年七月初に米沢へ我等使を上申候て、猪苗代の義相違仕迷惑に存候。会津に御敵は御座無く候間、大内備前を御退治成られ然るべき候。御尤に思召候はば、大内家中に一両人も御奉公仕候様に申し合わすべき由申上候処に、会津へ御敵…

『伊達日記』4:猪苗代盛国の内応の結果

4:猪苗代盛国の内応の結果 原文 一 御弓矢思召の如く之無く猪苗代を引除候はば、伊達の内三百貫の堪忍分下さるるべき事。 右三ヶ條の外望も之無き由申越され候に付、書付を以檜原へ申上候はば、政宗公御覚*1成られ、書付の通少も御相違あるまじく候。弾正書…

『伊達日記』3:猪苗代盛国への内応条件

3:猪苗代盛国への内応条件 原文 一 我等以後に御奉公申さるる衆候共、会津に於いて御仕置の如き座上に差し置かれ下さるべき候。御譜代衆には搆之無く事。 語句・地名など 現代語訳 私(猪苗代盛国)以後に奉公をするという者たちがいても、会津に於いて仕置…

『伊達日記』2:二本松との境の状況

2:二本松との境の状況 原文 一 二本松境八町目に私親実元隠居申され候。二本松の義継より節々使を預御念頃候。会津・佐竹へ御一味候へども、元来二本松・四本松は何方へも弓矢強方へたのみ身を持たれ候う。此度も伊達募候はば、実元をたのみ伊達へ御奉公仕…

『伊達日記』1:政宗の家督相続、大内定綱の反逆、檜原への出陣

1:政宗の家督相続、大内定綱の反逆、檜原への出陣 原文 一 輝宗公御代は佐竹・会津・岩城・岩瀬・石川、何れも御骨肉の御間にて御入魂に候。右之御大名衆数年田村へ御弓矢成られ、清顕公御手結に候。政宗公御舅に御坐候へ共、輝宗公御代之間是非に及ばず御…

『政宗記』5-8:岩城へ景綱使者附成実異見

『政宗記』5-8:岩城へ景綱が使者となったことと成実の意見 原文 去ば今度対陣の無事を、常隆扱ひ給ひ相済ければ、自今以後仰合らるるのためにとて、景綱を岩城へ遣し玉ふ。大森迄罷帰と承、岩城の体を尋ね聞んがため、成実二本松より大森へ参る。故に景綱語…