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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

原文

『伊達日記』44:定綱の御目見得

『伊達日記』44:定綱の御目見得 原文 同年三月廿三日玉の井の合戦過帰候処に。大内備前。片平助右衛門罷出られ候を相待べき由申され候。片倉小十郎二本松に逗留申され候処に。かち内弾正申大内備前甥。小十郎所へまいり候而。備前今夜本宮へ参られ候。明日…

『伊達日記』43:高玉太郎左衛門の戦い

『伊達日記』43:高玉太郎左衛門の戦い 原文 天正十六年三月一二三日頃我等抱の地玉の井高玉より山ぎはに付て西原と申候。四五里玉の井よりへだたり候所へはいくまを越候処に。玉の井の者ども無調儀に遠追候間。又草を入罷出候を見申候て押切を置討取たくみ…

『伊達日記』42:大内兄弟との駆け引き

『伊達日記』42:大内兄弟との駆け引き 原文 天正十六年二月十二日片平。阿子島。高玉三ヶ所の人数を以大内備前苗代田へ未明に押懸。古城に居候百姓共百人計相果候。本内主水と申者物主に指置候を切腹致させ放火申され候間。太田荒井の者ども亦玉の井へ引籠…

『伊達日記』41:大内定綱の望み

『伊達日記』41:大内定綱の望み 原文 天正十五年最上。大崎は御弓矢に候へども、安積表は先御無事分にて候。苗代田。太田。荒井三ヶ所は私知行に候。敵地近候へども御無事に候間。何れも百姓どもを返し在付候。苗代田は阿子ヶ島高玉の敵城に近候間。古城え…

『伊達日記』40:月舟斎のその後

『伊達日記』40:月舟斎のその後 原文 黒川月舟逆心故、大崎の御弓矢思し召され候様に之無きに付き、内々月舟を御退治成られ、大崎へ御働なるるべきと思召候へども、佐竹、会津。岩城、石川、白川打出本宮迄働候間、大崎御弓矢に取組れ候はば、亦彼大名衆御…

『伊達日記』39:氏家弾正の死

『伊達日記』39:氏家弾正の死 原文 一氏家弾正親三河、子共にも違大崎義隆へ奉公仕、名生の城に居候。城をいだき義隆へ奉公仕候。政宗、弾正にも御疑心の間度々起證文を上異義無き由申上候。聞召届けられ候故、御横目に小成田惣右衛門を申請候処に弾正病死…

『伊達日記』38:長江月鑑斎の死

『伊達日記』38:長江月鑑斎の死 原文 一深谷月鑑は相馬長門小舅に候。下新田に於いても月鑑手前の者共玉無鉄炮を打候由政宗公聞召され、深谷は大崎境に候。相馬へも縁辺逆意の儀尤の由思召され、秋保摂津守に預置かれ切腹仰付けられ候。 語句・地名など 現…

『伊達日記』37:最上義光について

『伊達日記』37:最上義光について 原文 一義顕公。政宗公伯父にて候へども、輝宗公御代にも度々御弓矢に候。然共近年は別而御念比に候。義顕公大事の人にて洞にて大臣兄弟両人共に切腹仰付られ候。政宗公二本松塩の松御弓矢強。佐竹、会津、岩城、石川、白…

『伊達日記』36:最上からの使者

『伊達日記』36:最上からの使者 原文 一、最上より義顕、野辺沢能登守と申衆を蟻が袋へ遣はされ候而、能登守月鑑に会候て何と申合候哉。月鑑は深沢へ帰。安芸守は小野田へ同心申。小野田の城主玄蕃、九郎左衛門両人へわたし申され候。其夜能登守、泉田宿へ…

『伊達日記』35:月鑑と安芸

『伊達日記』35:月鑑と安芸 原文 一百々鈴木伊豆守、古川の北江左馬丞中途へ罷出新沼へ使を越、大谷加沢呼出候而申候は、泉田安芸守と深谷月鑑両人人質に相渡され候はば、諸軍勢は除為しめ申べき由申候。大谷賀沢引こもり其由申候処に、泉田安芸守家中溜村…

『伊達日記』34:新沼の籠城

『伊達日記』34:新沼の籠城 原文 新沼に籠候衆五千に及候間、新沼小池にて食物もなく籠城致され体に候。政宗公内々御人数をもつかはされ引出され度思召れ候へども、山道は御気遣成られ左様にも之無く候。新沼衆申され候は、室山を押通向敵を切払、松山へ引…

『伊達日記』33:伊達政景の交渉

『『伊達日記』』33:伊達政景の交渉 原文 一伊達上野介先々人数を引付度存ぜられ候へども、日はくれ候。川を越北へそなへ候間、桑折室山より出候はば、除兼ねるべき由存られ、月舟は上野舅に候間、上野所より使者を以申され候うは、爰許引のき度存候間、異…

『伊達日記』32:小山田筑前の馬

『伊達日記』32:小山田筑前の馬 原文 一小山田筑前打死朝不思議成る奇瑞あり。宿より馬にのり十間計出候処に、乗たる馬、時の太鼓は早遅々と物を云ければ、めし仕候者興をさまし扨々と申候。筑前聞て、今日の軍は勝たるぞ、目出度と申候。討死以後其馬を敵…

『伊達日記』31:小山田筑前の死

『伊達日記』31:小山田筑前の死 原文 一氏家弾正は伊達の人数遣はさるるべき由御意候へ共、今に村押の旗先も見られず。通路不自由何方の注進も之無く、今は今はと相待。正月も立候間朝暮機遣に存られ候。然処に二月二日松山の軍勢打出川を越。先手の衆段々…

『伊達日記』30:黒川月舟斎について

30:黒川月舟斎について 原文 一 黒川月舟逆意の底意は、月舟伯父式部大夫を、輝宗公御代に御奉公に上げられ候飯坂の城主右近大夫息女に誓約仕、名代を相渡すべき由申合され候へども、息女十計の時分三十計の人に候間、今に祝言之無く候。右近大夫存分には年…

『伊達日記』29:評定にて

29:評定にて 原文 一 天正十六年正月十六日大崎へ仰付られ候御人数、伊達上野介、泉田安芸守両大将に仰付られ、粟野助太郎、長井月鑑、高城周防守、大松沢左衛門、宮田因幡、飯田三郎、浜田伊豆、軍奉行小山田筑前、御横目に為しめ、小成田惣右衛門、山岸修…

『伊達日記』28:弾正の苦悩

28:弾正の苦悩 原文 一 弾正所存に、不慮の儀を以普代の主君を相背、伊達殿へ御奉公仕候。天道も恐敷存候。流石に主君の御子勝三郎を某引立、政宗公へ参傍輩に成り奉る事も天命も口惜しく、仏神三宝にも放奉るべきと感て、中新田の御留守居南條下総所迄正三…

『伊達日記』27:名生城の様子

27:名生城の様子 原文 — 名生の城は義隆新田へ御越以来明所に成候を、義隆の御台と御子正三郎殿御袋に御東と申御方二人をば人質に名生の城に押置、御守には弾正親三河守、伊場惣八郎を指添差置申候。 語句・地名など 現代語訳 一、名生の城は、義隆が新田へ…

『伊達日記』26:氏家弾正の内応

26:氏家弾正の内応 原文 氏家弾正所存には、扨々移ればかはる世中にて刑部少一党伊達を賴入義隆へ逆意を存立砌は、私一人御奉公を存名生の御城籠城なさるべく候間、岩出山を引移御切腹之御供仕るべき由存詰候処に、案の外義隆我等を御退治ならるるべき御企…

『伊達日記』25:大崎の内紛

25:大崎の内紛 原文 一 天正十四年二本松、塩の松御弓矢落居の上、八月米沢へ御納馬成られ候処に、大崎義隆家中二つに分候て政宗公へ申寄候。根本は其比大崎義隆に奉公の小姓、新田刑部少輔と申者之事外出頭仕候。然処に如何様の表裏も候哉。本の様にも之無…

『伊達日記』24:清顕の死

24:清顕の死 原文 一 同霜月清顕公御煩死成られ候。政宗公も福島迄御出成られ、田村へ御使者を以仰届られ即御帰城候。 語句・地名など 現代語訳 一、天正14年11月、田村清顕公が突然お亡くなりに成られました。政宗公も福島まで出られ、田村へ使者を送られ…

『伊達日記』23:合戦後処理

23:合戦後処理 原文 一 塩の松は白石若狭拝領申され、御加増に下され候処も数多御座候。二本松は我等に下され、大森は片倉小十郎拝領申され、八月始米沢へ御馬を移され候。安積表は御無事の分にて往来の者も送を以罷通候体に候。 語句・地名など 現代語訳 …

『伊達日記』22:二本松開城

22:二本松開城 原文 一 政宗公少々御機合然る無く候に付、二本松への御合戦相延、四月始に御働候。近陣成られ候事。去年のごとく佐竹、会津、岩城より御出馬候はば城を巻ほぐし候事如何と思召され、北南東より五日御働成られ候へども内より一人も出ず候。や…

『伊達日記』21:二本松衆の内応

21:二本松衆の内応 原文 一 同年二月二本松の三ノ輪玄蕃、氏家新兵衛、遊佐丹波、同下総、堀江越中所より政宗公へ三之輪屋敷御人数御入候。地形も能候間御勢遣わさるべく候。二本松を取らせ、申すべき由申し上げ、人質を指上申候條御人数を夜中に遣わされ候…

『伊達日記』20:渋川合戦

20:渋川合戦 原文 一 天正十四年渋川に我等居候処へ、元日に二本松より昼時分乗懸候様に働候か。先へ馬上一騎、歩者十人計参陣。場の末にて水汲候者どもを追廻候所へ内より出合戦候。二本松への海道に小山候て柴立にて道一筋を追候て参候処に、柴立の後に馬…

『伊達日記』19:合戦の褒賞

19:合戦の褒賞 原文 一 十七日晩は政宗公も岩津野へ引上られ候。夜半比山路淡路御つかひとして御自筆の御書下され候。今日敵の後にて合戦仕敗北仕らず候事聞召され、伝へたることもなく不思議の様子是非に及ばず候。一身の働にて大勢のものども相助候。定て…

『伊達日記』18:人取橋合戦

18:人取橋合戦 原文 一 霜月十日比、佐竹義重公・会津義広公・岩城常隆公・石川昭光公・白河義近公仰せ合わされ、湏加川へ御出馬成られ、安積表伊達奉公の城々御責成られ、中村と申城責落せられ候。右之通小浜へ申来るに付、政宗公岩津野へ御出馬なられ、高…

『伊達日記』17:二本松籠城

17:二本松籠城 原文 一 会津抱の高玉阿子島より深山づたひに二本松へ通路仕候に付、城成とも成られ度思召され候へども、義広、義重、常隆出馬の御気遣にて成られぬ由候上、髙山にて通路に人数も候へども通らず候。人数之なきに付ては□見切通候間、米以下絶…

『伊達日記』15:輝宗生害事件

15:輝宗生害事件 原文 一 六日の晩。輝宗公政宗公之御陣屋へ御出、御台所へ家老衆召寄られ義継御侘言の様子御相談成られ候。我等若輩に御座候へども、此使い我等親仕候に付、義継への御使仕るべき由輝宗公仰付られ候。ケ様の大事の御使如何の由色々申上候へ…

『伊達日記』14:畠山義継との交渉

14:畠山義継との交渉 原文 一 廿六日政宗公小浜之城へ御馬移され候処に、二本松義継より実元所へ代々伊達を頼入身上相立候へども、会津・佐竹・岩城より田村へ近年御弓矢に候。我等も清顕公へ御恨候て会津佐竹へ一味仕候。去乍銘々首尾を存、輝宗公相馬へ御…