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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

『伊達日記』103:上洛の勧め

『伊達日記』103:上洛の勧め 原文 一上方御念比衆より先々御上洛然るべき由御異見に候。弾正殿へも其通何も仰越られ候に付。御登然るべきよし弾正殿も御異見に候條。御供衆三十騎計仰付られ。米沢御留守居には我等仰付られ沢田豊前指添られ。正月廿一日米沢…

『伊達日記』102:須田伯耆の素性

『伊達日記』102:須田伯耆の素性 原文 一須田伯耆と申者は大浪大膳家中に候。御洞御弓矢之砌大膳逆心仕候所。親伯耆後は道苦と申者大膳に背き直に御奉公に罷成。大膳家中故百番切の奉公並にて御年頭に一度御前へ罷出。御弓矢の時分も指南備に罷有体のものに…

『伊達日記』101:名生での人質

『伊達日記』101:名生での人質 原文 一弾正殿仰られ候は。氏郷引出ず候而仰分も成まじく候條。早々引出御申然るべき由仰せられ候。氏郷より之無く候はば罷出間敷由御理に付て伊達彦九郎を人質に仰付けられ候。我等に罷越候而一戦仕引出申すべき由仰付られ候…

『伊達日記』100:氏郷の疑い

『伊達日記』100:氏郷の疑い 原文 伊勢守引出され候砌。高清水は鳳月此方へ右より申寄られ候間。高清水に御在馬成られ候へども。方々一揆之城々の中にて寒気之砌御働も罷成らず。とかく御手前御あやまりなき旨弾正殿へ仰合さる由思召され高清水へ御出候処に…

『伊達日記』99:須田伯耆の訴え

『伊達日記』99:須田伯耆の訴え 原文 一松森に御在陣之内。政宗御家中須田伯耆と申者。松森へ参て蒲生四郎兵衛を頼み申上候は。政宗一揆に御同心にて氏郷を討果申すべき由存ぜられ候條。御油断成らる間敷由申上候而則御在陣に罷在候に付。氏郷大崎敵地の内…

『伊達日記』98:一揆勃発

『伊達日記』98:一揆勃発 原文 一弾正殿より浅野六右衛門を米沢へ御使につかはされ。大崎。葛西一揆おこり候間。政宗早々御下御退治然るべく候。蒲生氏郷へも其通り申遣候由御ことはりに付四五日御支度成られ浅野六右衛門御同心にて利府へ御出。氏郷御出を…

『伊達日記』97:木村家中の狼藉

『伊達日記』97:木村家中の狼藉 原文 一木村伊勢守。大崎。葛西十二郡拝領に付。上方大名衆の家中ども伊勢守大名に成られ候間。知行を取べき由存暇を乞。亦逃隠伊勢守へ奉公仕候。伊勢守は登米に在城。子息弥市右衛門は古川に在城にて候。大崎。葛西の本大…

『伊達日記』96:九戸攻め

『伊達日記』96:九戸攻め 原文 一浅野弾正殿。石田治部少殿。登米へ御着候間。政宗も登米へ御出御在陣候処に。上方衆御人数南部へ下候間。政宗も九ノ閉迄御下向。上方衆九ノ閉責落し御のぼり候。政宗公も御八丁目迄弾正殿御同道なされ米沢へ御帰城なり。 語…

『伊達日記』95:鷂所望

『伊達日記』95:鷂所望 原文 一太閤様会津へ御下。会津仙道蒲生飛騨殿へ下され候。木村伊勢守。葛西大崎拝領申され候而二本松を御通候。我等鷂所望の由に候間。一居持候を居させ湯井門(油井門)まで追懸会申候へば。葛西大崎拝領仕罷下候。鷹所望の由に候…

『伊達日記』94:宇都宮下向

『伊達日記』94:宇都宮下向 原文 小田原落居の上。太閤様会津へ御下向の由申来候に付て。政宗公米沢より御迎に御出。宇都宮にて御目見え成られ候処に。御囲を成され御茶を進ざる。片倉小十郎を御相伴に仰付らる。冥加之至に候。南部へ御人数遣はされ候間。…

『伊達日記』93:大里城攻め

『伊達日記』93:大里城攻め 原文 政宗公御下向の砌。木村伊勢守御小指南に候。浅野弾正殿親類浅野六右衛門と申もの差添られ会津を請取申すべき由仰付られ候。色々御馳走成られ政宗公米沢へ御移候。其時分迄大里落居申さずに付。片倉小十郎我等長井の人数迄…

『伊達日記』92:会津での騒動④

『伊達日記』92:会津での騒動④ 原文 政宗公会津へ御下着前の夜。御飛脚を以小荒田隠岐成敗仕るべき由仰下され候。此ものは須賀川落城以後我等を頼御免をかふふり候者にて候間。矢田野が会津を明渡され候者。欠落仕るべきと思し召され候と見え申候。それに付…

『伊達日記』91:会津での騒動③

『伊達日記』91:会津での騒動③ 原文 一須賀川落城の後。矢田野伊豆召出され候時分。大里と申城は召上られ小嶋右衛門差置かるるべき由御意候而破却も成られず。矢田野をば破却なられ。伊豆は若松に相詰。小田原へも御供申候。底倉に御座成られ度々きびしく御…

『伊達日記』90:会津での騒動②

『伊達日記』90:会津での騒動② 原文 一本会津奉公の者夏井藤左衛門と申者。横田警固差置かれ候処に。越後へ申合横田を取らせしめ申すべき企に候由平田勘左衛門と申もの我等に聞こしめさしめ申候。政宗公御下向に候者。彼知行下され候様に頼申由に候。奇特の…

『伊達日記』89:会津での騒動①

『伊達日記』89:会津での騒動① 原文 会津御留守の内。二三夜程さはぎ候よしに候。我等は存ぜず候処に。宝尺と申山伏我等所へしらせ申候は。若松中以の外さはぎ。夜に入候へども方々へ荷物を落。昼の商も能様なる物は出し申さず候由申候。如何様の義を以さは…

『伊達日記』88:秀吉との対面

『伊達日記』88:秀吉との対面 原文 一小田原御陣所に石垣御普請成られ候半に。芝居にて太閤様曲録に御越をかけられ家康。利家を始大名衆余多御座候。御礼成られ御帰有るべきと思召候処に。政宗と二聲御意候而小田原の城の見え候方へ御向。御杖を以て地を御…

『伊達日記』87:大崎について

『伊達日記』87:大崎について 原文 一大崎の義は境論仕弓矢に罷成候。佐竹。会津。岩城不和に罷成候事は先達申上候通に候由仰上られ候。太閤様。政宗をば方々より憎み候由御意成られ。会津取候慮外に思召候間。召上らるるべく候。本領御別儀有間敷候間御礼…

『伊達日記』86:相馬について

『伊達日記』86:相馬について 原文 一相馬は我等親代には弓矢に候へども。無事に罷成懇切に候処に。田村の清顕と申者我等舅に候。相果彼地主御座なく候。田村近所に石川弾正と申者拙者家中にて候。相馬義胤を頼逆意仕候。退治仕る所に。義胤。弾正抱の地へ…

『伊達日記』85:最上について

『伊達日記』85:最上について 原文 一最上敵に罷成候は。我等近習鮎貝藤太郎と申ものを引付。義顕手切申され候刻はたらき候付。藤太郎退出最上へ罷越。于今罷有候由承に及候。 語句・地名など 現代語訳 「最上が敵になったのは、私の近習であった鮎貝藤太郎…

『伊達日記』84:小田原参陣

『伊達日記』84:小田原参陣 原文 一天正十八年太閤様小田原へ御陣の由申来候に付。遠藤不入斎差登られ候処に。家康公。浅野弾正殿。加賀筑前殿いづれも御念比衆より不入斎相返さる。政宗早々御登然るべき由御異見に候。会津御手に入候以来越後と御弓矢に罷…

『伊達日記』83:天正18年の正月

『伊達日記』83:天正18年の正月 原文 一若狭へ御入馬候而十七年の御越年に候間。御譜代衆新参衆何れも参られ候。御祝儀申上られ。別而美々敷正月にて候。十四日御嘉例の御謡初候。御乱舞の上毎年大狂言を成され。御自酌にて御奉公人へ御酒を下され候。新国…

『伊達日記』82:須賀川の知行割

『伊達日記』82:須賀川の知行割 原文 一須賀川の地は石川大和へ下され候。西方の御奉公衆は与力に相付けられ候。三十日余須賀川に御在馬成られ候。白川。那須。境。関などと申所に新地を御きづき候。番手を御訴訟に付我等人数を越申すべき由仰付られ候間。…

『伊達日記』81:岩城との和議

『伊達日記』81:岩城との和議 原文 一仙道中残りなく御手属され候間。御和談候而。来年は佐竹へ御弓を成らるるべき由御思案なされ。片倉小十郎に仰付られ志賀かんてうへ状を越申すべき由御意にて。岩城の儀はかやうに打隔べき御中にて之無き御味方御一党の…

『伊達日記』80:須賀川合戦

『伊達日記』80:須賀川合戦 原文 一廿六日未明に須賀川へ御働候。兼而の御備を引替られ須賀川新参衆御先懸。会津新参衆御譜代の衆打交備の御書付相出らる。西の原に備を相立候。政宗公家老衆十騎計召連らる。八幡崎の道筋あまよばはりの道筋方々を御覧成ら…

『伊達日記』79:須賀川攻めの軍議

『伊達日記』79:須賀川攻めの軍議 原文 須賀川は佐竹岩城を相守られ。警固に佐竹よりもも殿。つきのおれ殿。其外南口衆差越され候。岩城より植田但馬。高貫中務差置かれ候。岩瀬一家西方衆。政宗公へ御敵申事成間敷由存られ。保土江南。浜尾善斎。矢部下野…

『伊達日記』78:新国上総の降伏

『伊達日記』78:新国上総の降伏 原文 長沼の城主新国上総盛氏御取立を以長沼の城主に差置かれ候へども。政宗公御ほこさきには抱候事成間敷由存。御侘言申上知行相替えず。御前相済若松へ伺公仕。御目見え申され候。 語句・地名など 現代語訳 長沼の城主新国…

『伊達日記』77:猪苗代弾正の望み

『伊達日記』77:猪苗代弾正の望み 原文 一会津御知行割の砌弾正我等を以申上られ候は。御奉公之砌三ヶ條望申候由。北方半分下され候様にと申上候間。其通仰付られ候様にと申上られ候。政宗公御意には。北方の内に何程。弾正知行申所は何と申候哉と御意候。…

『伊達日記』76:四ヶ所の落居

『伊達日記』76:四ヶ所の落居 原文 一会津の山の内にいないほう。横田。川口。屋なとり。此所は山中故御手に入れず。然処八月末に原田左馬助御代官に為さしめ会津新参衆長井の御人数を以屋なとりの城責落なで切に仕候間。津川へ除候者も御座候。又御侘言申…

『伊達日記』75:会津での知行割

『伊達日記』75:会津での知行割 原文 一義重常隆御帰陣に付。政宗公は会津郡中の肝煎大百姓召あつめられ跡々物成御尋成られ。御奉公仕候ものどもにいずれも御加増下され候。原田左馬助は会津御事切の時分より御手に入候はば。津川を下さるべき由御約束に候…

『伊達日記』74:義重・常隆の帰陣

『伊達日記』74:義重・常隆の帰陣 原文 一義重大平を御取候以来。別而御手ぎわも之無き故か。七月廿日比佐竹へ御帰馬候。常隆公も御帰陣候間田村へつかはされ候。御人数多分罷かへり。伊達信夫の御人数ばかり在陣申され候。 語句・地名など 現代語訳 佐竹義…