[sd-script]

伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『正宗公軍記』1-3:青木修理御味方仕り、塩の松、御手に入り候事

『正宗公軍記』1-3:青木修理が味方になり、塩松が手に入ったこと 原文 天正十三乙酉七月初に、米沢へ、拙者、使を上げ候て、猪苗代の儀、相違仕り候て迷惑に存候。会津に御敵は御座なく候間、大内備前を御退治なされ然るべく候。御尤に思召され候はば、備前…

湯浅常山『常山紀談』政宗関係記事

『常山紀談』とは 江戸時代中期に成立した逸話集。簡潔な和文で書かれており、本文25巻、拾遺4巻、それと同じ内容を持った付録というべき「雨夜燈」1巻よりなっている。著者は備前岡山藩主池田氏に仕えた徂徠学派の儒学者・湯浅常山。 出典: フリー百科事典…

『名将言行録』「伊達政宗」

『名将言行録』とは 『名将言行録』(めいしょうげんこうろく)は、戦国時代の武将から江戸時代中期の大名までの192名の言動を浮き彫りにした人物列伝。幕末の館林藩士・岡谷繁実が1854年(安政元年)から1869年(明治2年)までの15年の歳月をかけて完成させ…

今年もよろしくお願いします。

ってもう春節も終わったよ!って感じですが、新年のご挨拶に上がりました。 今年もどうぞよろしくお願いします。 年が変わるのに合わせて、Topの2019年の分の更新履歴を過去更新履歴に移しました。 sd-script.hateblo.jp 昨年は『伊達日記』をやっと全部アッ…

2019秋伊達登別

観測史上最大とも言われた巨大台風の近づく中、台風の間を駆け抜けて、だて歴史文化ミュージアムの『伊達政宗と伊達成実展』に行ってまいりました! 5月にも北海道行ったし、さすがに年二回北海道はないよね…と思ったのですが、伊達武将隊さんブログで上がっ…

『正宗公軍記』1-2:大内備前、別心の事附会津義広御表裏に依り御弓箭を起す事

『正宗公軍記』1-2:大内定綱、反逆のことと会津義広の態度の相違により戦になったこと 原文 天正十三乙酉、大内申上候は、雪深く普請も成り難く候間、御暇申請け、在所へ罷帰り妻子を召連れ、伺候申すべく候。其上数年、佐竹・会津御恩賞相請け候御礼をも、…

『治家記録』寛永11年2月23日条

『治家記録』寛永11年2月23日条 原文 廿三日庚辰。天気好、寅の刻(午前4時)伊達安房殿成実宅へ御出、数寄屋に於て御茶饗し奉らる。亭主御花を望み申し、水仙花と梅を出さる。水仙は長く、梅は短く伐て出されしを、公山礬是弟梅是兄といへる事ありと仰せら…

『木村宇右衛門覚書』120:伊達成実邸での怪奇

『木村宇右衛門覚書』120:伊達成実邸での怪奇 原文 一、有年、伊達安房成実若林の屋敷新宅出来、吉日を選び太守公被為成候。朝は御茶の湯過候て、鎖の間にて色々飾り薄茶を終わって書院に出御、外舞台にて御能作法のごとく、大夫に唐織と箔の物太刀折紙、惣…

『木村宇右衛門覚書』・目次

『木村宇右衛門覚書』について 仙台伊達家から昭和26年に仙台市へ寄贈された伊達家寄贈文化財の中にあった一資料である。江戸時代には「木村氏覚書」「木村宇右衛門書立」と称されることもあった。上中下巻の3巻からなる。 内容は伊達政宗が晩年に小姓の木村…

『名語集』42:伊達安房屋敷にて宗碧を手討にす、同屋敷失火

『名語集』42:伊達安房の屋敷にて宗碧を手討にする、同屋敷の火事 原文 一、或時、伊達安房守殿にて、ことごとく作事出来し、日がらを以て、貞山様を御申入れられ、朝は御数寄屋、さてそれより御書院に於て、いづれも御親類衆・大身・小身、みなみな長袴な…

『伊達日記』126:白石攻め

『伊達日記』126:白石攻め 原文 政宗公は岩出山迄は御下成らせしめられ。北目に御在陣候て七月廿四日白石の城へ御働候。甘糟備後城主に候間若松へ引取られ備後甥北城式部居候朝城外を打廻り。御働引上られ候。八つ時分又城廻りを御覧成られ。別而改普請仕所…

『伊達日記』125:家康の返し

『伊達日記』125:家康の返し 原文 一義顕。政宗。南部信濃以下奥の大名衆。景勝退治のため国々へ御下候。家康小山迄御出馬の所上方にて謀叛起。伏見の城又京極若狭殿御座候大津の城にも籠置かるる由申来候付而家康江戸へ御引返候。 語句・地名など 現代語訳…

『伊達日記』124:関ヶ原前夜

『伊達日記』124:関ヶ原前夜 原文 一家康公。政宗公御入魂の故か。政宗娘を上総殿へ御取合成られ度思召。宗薫を以御内証に候。四人の大名衆聞召され。秀吉公御他界の砌五人の大名衆申合仕置き仕べき由仰置かれ候所。各相談無く縁初の儀覚悟の外由仰られ。宗…

『伊達日記』123:秀吉の死

『伊達日記』123:秀吉の死 原文 一秀吉公御違例に候処。次第に重候故諸大名衆をめされ。御病気つよく候間。御他界も候はば秀頼公にたいし逆意存まじき由誓紙仕るべき由仰出され候に付。熊野牛王に血判いづれも成られ候を。大峯にをさめ申すべき由御意にて。…

『伊達日記』122:秀吉の贈り物

『伊達日記』122:秀吉の贈り物 原文 一御普請場へ日々成せしめられ候。十月始寒時分惣の大名衆へ風をふせぎ候への由にて。長持に紙絹を御入町場を御廻り候て移に下され候。政宗は物ずきを仕候へども紺地の金襴。袖は染物にすりはくの入候を御付。すそは青地…

『伊達日記』121:慶長伏見地震

『伊達日記』121:慶長伏見地震 原文 慶長元年太閤様伏見の向島と申処に御城御構候。御普請過半出来候処に。閏七月十二日夜半時分大地震にて御城の天守御殿共に破損し。御城の内にて男女五十人余打殺され候。向島は宇治川立廻地形下所にて候故。猶以普請衆数…

『伊達日記』120:秀次事件

『伊達日記』120:秀次事件 原文 秀吉公御在陣の内若君様御誕生なされ候。秀次へ聚楽御渡候を内々秀吉公御後悔にもをぼしめし候哉。治部少見届御中を表裏候由見へ候。秀次公山へ綱を御張唐犬をあつめ鹿を御くはせ候而五日十日御山に御座候。御謀叛の御談合の…

『伊達日記』119:蒲生騒動

『伊達日記』119:蒲生騒動 原文 一会津蒲生氏郷殿御遠行候而家老蒲生四郎兵衛。藤三郎殿をとり立申候所。飛騨殿小姓頭に召遣され候和田利八右衛門と四郎兵衛公事を仕披露及ばず候付。秀吉公御意にて和田利八右衛門を切腹仕候。蒲生四郎兵衛は嶋津兵庫頭へ預…

『伊達日記』118:秀吉の帰還

『伊達日記』118:秀吉の帰還 原文 一伏見御城文禄二年より御普請なされ候。名古屋に御在陣の内秀次公聚楽御城に御留守にて候。秀吉公直に伏見御城へ御帰陣成られ候。先天下は秀次へ相渡し分にて候。唐海道駿河訖の大名衆相付られ候迄にて。御仕置抔は秀次公…

『伊達日記』117:食料の不足

『伊達日記』117:食料の不足 原文 一秀吉公八月末名古屋より御帰馬候。筑紫四国西国衆は在陣にて坂東勢は九月十日に帰朝申され候。ふさんかい近所に城を三つ取普請仕るべき由仰出され。いづれも其普請成られ候。高麗は弓矢の成らぬ事之無き候へども。日本の…

『伊達日記』116:赤国合戦

『伊達日記』116:赤国合戦 原文 一筑紫中国四国の大名衆。唐海道。平安道。えそ海道。をらんかい切したがへ。去年は高麗人手と身と計にて逃候間。飯米を取四月迄在陣申候へども。日本より飯米相続かず候故其通名古屋へ申上られ候処に。引除べき由御諚候。縦…

『伊達日記』115:高麗人の出現

『伊達日記』115:高麗人の出現 原文 一陣道具取に夫兵四五十人まいり候処に。高山より高麗人跡の続かずを見切追散五六人討候。その後も薪とり候ものを追散候間。政宗人を差越され地形御見せ候処に。人の一二百程居候而山よりも見えず。深沢へ其夜中に人数二…

『伊達日記』114:渡海

『伊達日記』114:渡海 原文 一翌年の正月浅野弾正殿御子左京大夫へ渡海仰付られ候。政宗も渡海仰付られ候。三月十五日舟にめし候へども日和これなく。二十二日迄名古屋の間に舟がかり。政宗公は陸に御宿なされ。御下衆は舟の内にて日をおくり申候。廿二日追…

『伊達日記』113:名護屋での出来事

『伊達日記』113:名護屋での出来事 原文 一盆に加賀筑前殿御家中前田孫左衛門と申人より政宗公御陣所へをどりを差越され候。其返事成らるるべき由にて何も稽古仕候。廿日の晩相返成らるるべき由にていづれも出立候処に。日暮家康公御陣前にて安部伝八郎と申…

『伊達日記』112:名護屋での喧嘩

『伊達日記』112:名護屋での喧嘩 原文 一六月末の比事の外暑時分家康公御陣所の下に清水候。筑前殿衆其水を汲申され候。多出申さぬ水に候故。家康公衆防の処是非汲申すべき由申からかい候。其聲を承筑前殿御陣所より二人三人宛走寄。尤家康御陣場下に候間人…

『伊達日記』111:高麗への陣立

『伊達日記』111:高麗への陣立 原文 一二月半時分。岐阜中納言殿。浅野左京大夫。羽柴藤五郎。木村常隆。加藤遠江。その外坂東の大名衆。段々に御陣立候。一番加藤筑前。二番家康。三番政宗。四番佐竹右京亮。押道は聚楽御屋敷よりもどり橋を大宮通へ御返候…

『伊達日記』110:岩出山出立

『伊達日記』110:岩出山出立 原文 一高麗入の御支度。萬御道具は京都へ仰上られ候。岩出山御留守居は屋代勘解由兵衛に。御領内中其身任され置度由仰付られ。天正十九年正月九日岩出山御立成られ黒川に御着。七森の鹿御狩成られ年内より名取。国分。宮城。黒…

『伊達日記』109:高麗御陣への準備

『伊達日記』109:高麗御陣への準備 原文 一岩出山。政宗公御在城に相立られ候。御上洛の時分より来年は高麗陣と申ならはし候。政宗公は遠国と云国替弥一揆の跡を下され候由も。其体にては成らせしめられず馬上三十騎。鉄砲百。弓五十張。鑓百。のぼり三十本…

『伊達日記』108:奥羽仕置の完了

『伊達日記』108:奥羽仕置の完了 原文 一関白様は最上へ御下向。家康公は岩出山に御逗留なされ候。佐沼岩出山を御再興候而政宗公へ相渡され候。関白様へ相付られ御人数浅野弾正殿も南部迄御下。奥中平均に仰付られ御登候。政宗公も直に岩出山へ御移候。長井…

『伊達日記』107:一揆終結

『伊達日記』107:一揆終結 原文 一関白様へ二本松にて御目見へ候処に。両使を以大崎。葛西一揆の様子御たづね候。政宗仰られ候は。城々多相抱地下人迄も譜代の者に候間。御退治御六ヶ敷候條。命ばかりは相助られ候様に御訴訟申すべき由申候間。沢谷と申所へ…