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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

『名語集』著者について

『名語集』を書いたのは誰か。
実は元禄16年(4代藩主綱村による治家記録編纂事業)の時点ですでに不明になっている。

名語集<又、命語集ともあり。作者知らず、或は是も亦、成実の記なりと云う>

昭和10年に『政宗公御名語集』を編纂した小倉博氏のご意見がこちら。

著者は不明であるが、序跋に述べてある所や政宗卿の原稿臨終の模様を巨細に記してある点から推して、成実と同じく卿の側近者で、「よろづ御詞の少々常のご様子人伝にも承り折節にも拝み奉」った者と思われる。それが小川という卿の侍女であると記してあるのを見たことがあるけれども、これは確かでない。ただ文体から見て女性の筆も混じっていると思われる。

  • 高橋富雄新訂『伊達政宗言行録-政宗公言行録-』宝文堂/昭和62年/144p

そして高橋富雄氏のご意見はこちら。

ただ、正確に、あるいはただ一人の著者ではないにしても、その著作に最も深いかかわりを持ち、著者に最も近い位置に立っているのは、伊達成実という人であることだけは疑いない。

  • 高橋富雄新訂『伊達政宗言行録-政宗公言行録-』宝文堂/昭和62年/14p

本書の著者については、その内容からして、政宗側近に仕えた者で、しかも文をよくする者でなければならないことは一般に言われてきたところである。
これについて大槻文彦は、次のように言った。
「政宗は寛永13年(1636)70歳でなくなった。成実は正保3年(1646)、79歳でなくなっている。年代的にもこの人だと都合いい。しかも内容が近親でないとうかがい知りえない機微にわたっていて、着眼もツボを得ている。これは著者が成実であることを思わしめる。しかしその臨終の模様などは、側近の侍女あたりが書きついだと思われるフシもある」。
侍女追記説はしばらくおいて、少なくとも本書の原著者が政宗の側近の老臣だろうことは、ほとんど疑いない。(中略)
この『著者』は、政宗に扈従して江戸城中にも参候し、主君が将軍の面前で、諸大名達と酒宴に列なる様子を身近かで見ている。将軍がどのような様子をしているかも、手にとるように見ることのできる位置にある。「私しきいやしき者」と謙遜しているが、これは、伊達の一級重臣でないと許されない特別資格である。
伊達安房は、晩年江戸城中に招かれて、軍学を講じ、歎賞されたこともある人である。大槻文彦ならずとも、この人ならば、江戸城中、将軍に咫尺するところに位置しても異とするに足らぬ六十二万石第一の重臣だった。
この本の末尾あたりを読めば、その「著者」が政宗と形影相伴いない、死生をを共にしてきた股肱の臣であって、その死とともに自分もまた、わが事了ったと感じる一徹の老人であることが、しみじみと読みとられる。(中略)
大槻が、女性の関与を考えたのは、政宗の臨終あたりの記事に、側近の侍女などでなければ書きえないところがあると判断したからであった。小倉氏はこの本の著者そのものに特定の侍女をあてることを保留しながらも、「ただ文体から見て、女性の筆も混っている」ことは、はっきりと推定されたのであった。

  • 高橋富雄新訂『伊達政宗言行録-政宗公言行録-』宝文堂/昭和62年/16p

高橋先生のおっしゃってる、大槻文彦についてはこちらを参照(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A7%BB%E6%96%87%E5%BD%A6)。大槻文彦氏がどこで『名語集』について言及していらっしゃったかは、書名書いてなくて、ちょっとわからなかったです。ご存じの方いらっしゃったらご一報くださると嬉しいです。
【追記】野崎様よりご指摘。大槻文彦氏の文章は仙台叢書1に全文記載されているそうです(未チェック)。チェックしましたら、また書き加えたいと思います。
【20120629追記】仙台叢書1入手しました。大槻文彦博士による解題はこちら

高橋先生は「全体が女性的な文体、文章構成になっているのを感じとる」といい、女性作者説に同感もする。しかし同意はしていない。
ここから、高橋先生は「『名語集』二段階成立説」を唱える。
・はじめに様々な政宗記があった。その中で最もまとまりがあり、かつ権威ある政宗記が伊達安房本政宗記であった。そして流布した。
・その中でも特に評判になり、広く流布したのは、名語集10・11・12などに相当する政宗の逸話集であったのではないか。
・そしてその部分だけを抜書きして名語集が成立したのではないか。
・同様に、いくつもの名語集があったのではないかと思われるが、その中で最も文才があり、事情に詳しい政宗側近の手による名語集が成立し、定本名語集として流布するようになったのではないか。
高橋先生は、文章的なレベルに於いては『成実本政宗記』より『名語集』の完成度を高く推す。そして、「斎藤別当実盛に静御前の衣装をまとわせたような違和感が、少なからず、この本の文学としての興趣を減殺していることは否めない」と指摘している。

個人的感想:
まだきっちり読んでないので、判断保留(笑)。てか原本もなく写本に触れるわけでもなく、そしてなんのスキルもない私に判断できる材料など全くないのですが…。ただ本当に私見の私見を述べさせてもらうと。
・エピソード部分の著者(=我)は明らかに成実(だと思う)。
・だが他の政宗関係伝記から書き継いだと思われる、成実の書いていない成実エピソードがある。(「40:能を観て感泣す」で、政宗と成実が大泣きした件が、政宗記では「みんな泣いた」となっており、自分が泣いたことは書いてない。このエピソードは木村本(*『木村宇右衛門覚書』)にもある。)→武水しぎのさんからのご指摘
・しかし、大槻・小倉・高橋三氏の女性説はあくまで文体からの推測であり、原本の字体や明確な証拠があっての指摘ではない。
・しかし著者が原著者(成実?)に感情移入して筆を走らせているのが、わかる。特に跋文。本人の体験ではないものを想像して書いている?節がある(跋文の野山狩りや、老人としての感慨のところなど)。
・なので、個人的には更級日記や土佐日記のような、文をよくする、感情移入癖のある、女性もしくは女性的感性を持つ男性による書き継ぎがあったのかもしれない、と現時点では判断しています。仮に小川と呼びますが(笑)。
・でも一方で、個人的には成実が書いてたらおもしろいなあ…とも思ってたりします(笑)。政宗記前半のクールな筆致と、政宗記後半のやや感情的な筆致の違いも気になるし、さらにウェットで感情ダダもれな名語集を書いたのだとしたら、その心境の変化や筆致の違いを想像すると面白い。で、跋文あたりを見てるとさりげないプライドが見え隠れしていて非常に興味深いのです。

これについてはもう一度きちんと読み終わってから考察し直したいと思います。とりあえず今回はここで終わり。[20120419up]