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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『名語集』2:武士の死を惜む

2:武士の死を惜む(武士の死を惜しむ)

原文:

一、或時、貞山様御咄に、「我れ若年より方々へ合戦に、心掛けたる所へ押し寄せ、存分叶はず、引取りたる事おほかた覚えなし。無理なる所へも其の時の見合により押し寄せ、多く人数をうたせ、或は敵を追出し、或は降参するもあり、さまざま心地よき事多し。尤も自身乗りまはし、采配の切れ落つるほど、かせぐ所もありといへども、何として我身ばかりにて成る事になし。歴々親類衆、其の家中々々に備へを覚ゆるほどの下々も、皆我が下知なくても、一つの様に心地はげまぬ一人もなし。されどもかやうの者まれなり。惜しき者の次第に失せるは、我が命一つづつとりのくるに同じ。金の鎖にてもならば、つなぎ留めたきは、よき武者の命なり。せめて若き者どもに昔の名をも附けて使ひたきかな」とて、はらはらと御落涙遊ばされ候。其の上仰せらるるは「人数を心のままに使ふ事、詞にも述べがたし。しかしながら、常に野山・鷹野にても、其の日の勝負の善悪にかまはず、我が馬次第に、おし廻し、かけひらきする様に、使ひ教ふる事、肝要なり。唯、人は、何事によらず、常の心持に高下あり。まづ第一は二六時中、油断の二字に用心つよくせよ」と御物語なされ候。

現代語訳:

ある時、貞山様(政宗)がお話になった。
「自分は若い頃から、方々へ合戦したときに、思った所へ攻め、思うようにいかず、引き下がったことはおよそ覚えがない。無理な所へもその時の情勢により攻め、多く人を撃たせ、敵を追い出したこともあり、降参させたこともあった。さまざま気持ちのよかったことが多かった。実際、自分自身も馬を乗り回し、采配が切れて落ちるほど、一生懸命に戦って手にいれた所もあったが、それは自分の力だけで成ったことではない。
親類衆のお歴々、家中の下々の者達も、皆自分の命令がなくても、ひとつになって気力を奮い立たせない者は一人も居ない。しかしこれほどの者はめったにいない。このような惜しい者が次第に居なくなっていくのは、自分が老いて行くのと同じである。金の鎖でもあったなら、つなぎ止めておきたいのはこのようなよき武者の命である。せめて若い者達に、昔の名をも付けて使いたいなあ」とおっしゃって、はらはらと涙をお流しになった。
その上おっしゃったのは、「大勢の人を心のままに使う事は、言葉にも言い尽くせないほど(難しい)。しかし、つねに野山・鷹狩りの野であっても、その日の勝ち負けにかまわず、自分の馬を使い、かけひらきする様に、使い教えることが大事である。ただ、人は何事においても、気分の上下がある。まず第一は、一日中油断の二文字に用心するよう気をつけよ」とお語りなさいました。

語句・地名など:

人数(にんじゅ):大勢の人。顔ぶれ。人の数、人数。

感想:

政宗の戦についての言葉。上に立つ者の心得なども見えます。