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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

おばあちゃんが大好きです!

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いわき市発行『久保姫の時代』、成実三昧のしぎのさんとこで拝見して、すっごい気に入ってどうにか入手したく思っていました。思い切って問い合わせてみたら、なんと下巻はまだあるんだそーな! やった! 上巻は引き続き募集しております! 古本屋で見つけたから譲るとか、もういらないから売ってやるとかぜひぜひ情報お待ちしてます! シナリオも欲しいです!
久保姫、晴宗とラブラブですよね…ちょっと晴宗自重しろ…て思うわ…(笑)。花嫁強奪の上、11人全員が久保姫の子どもって本当なのかしら…(笑)。双子もいなさそうだし、大変だったでしょう、笑窪様…。
久保姫は晴宗の奥さん。晴宗の直系の孫である政宗・晴宗娘が母の成実の、共通のおばあちゃん(そして成実にとっては同時に伯父さんの奥さん…?でもあるという…ああここの家はホントに説明が難しい…)。でも本とかで政宗と成実をただ従兄弟ってだけ説明してあると、ちょいともにょってしまうのですよね。そんな単純な仲だったらさかのぼって天文の乱も、その後の出奔事件も起こらないですんだんじゃないか…と思って…。あと、逸話サイトのコメントとかで「さすが成実…血中伊達濃度が高いぜ…」とか「さすが従兄弟殿!(政宗にも容赦ない態度が)しびれるう!」とか書いてあるの見ると腹筋が崩壊する(笑)。血中伊達濃度は、最上で薄れてる政宗より濃いからね…。そこがおもしろい…。
岩城常隆も岩城御前も白石宗直も従兄弟なんだよねえ…。いろいろと複雑で、まあそこがおもしろいんですけれど。政隆さんを政宗が拾っているところや、石川さんとのあれこれが成実出奔の原因とされていることとか考えても、どれだけ政宗が一門衆との関係に苦慮していたかがわかります。
成実と岩城御前(二階堂氏)との(双方ともに)再婚は、経産婦だから絶対に妊娠不可能だったとは思わないけど、そもそも生ませる気なさげな婚姻な気がするのですよね…。政隆さんに対する政宗の処遇とか、その他伊達家一門に対する態度とか見てても、一族・親族への罪滅ぼし的救済措置の一環に見える…*1
岩城御前の兄の蘆名盛隆が1561年、兄弟の行親が1570年&行栄が1581年、夫の常隆が1567年生まれ、父の二階堂盛義が1581年死亡。そして常隆との息子の政隆が1590年生まれ。で、成実は1568年生まれ。これから考えると、岩城御前はどう考えてもおそらく1568~70年代前半生まれ。で、娶ったのが成実37歳。小僧丸誕生が成実44歳、つまり妊娠させたのは43歳のとき、岩城御前はおそらく30後半〜43歳。もちろんめごとかも40過ぎて子ども産んでるからまったく無理ではないけども、今でも大変な40代の出産は大変ではないかなあ…と思うので、もしかしたら小僧丸の母は岩城御前じゃないかもなあ、と*2
あれ、岩城御前じゃなくて、久保姫の話がしたかったのに! 晴宗ー久保姫は杉目城(現:福島県庁)に隠居しますけど、大森と杉目はわりと近いので、政宗と成実は杉目で待ち合わせてその後米沢まで一緒に帰ったりしてます…。*3

政宗「今度おばーちゃんに会いに行くからお前もこい」
成実「行く行く!了解!昼頃までにはいくわー」
みたいな感じ?

実元の死直前に八丁目に見舞いに来たときも翌日杉目を訪れ、久保姫に会っています。今ともちろん感覚は違うのでしょうけど、やっぱり同じ所もあると思うのです。やさしいおばあちゃんと、孫二人を妄想するとかわいいです…。こっそり小遣いくれたりしないのかしら!(笑)

政宗「おばーちゃん、小遣いなんていいよー。おれ今当主だよー*4
久保「お母さんには黙っときなさい!」
成実「ありがとーおばーちゃん!」
みたいな…?(笑)

ググるマップで見るまで、米沢と大森こんなに遠いって知らなかった…(違う地方在住の歴ヲタによくある地理と距離感が全くわかってない状態…)。

*1:でも確証なんてないっすよ…。

*2:もちろん確証などない(笑)。

*3:天正16年5月。22&21歳ですね。

*4:ホントだよ…(笑)。