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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

成実の辞世について

(*以前政宗作左馬助追悼歌のエントリに併記していました部分を切り離し、加筆しました)

辞世の表記ってどこに載ったものが最終稿なのでしょう? 政宗の辞世も「晴れてこそ行け」「照らしてぞ行く」の二つがありますが、どっちが最終稿なのか…*1。今は多分「照らしてぞ」が流布してると思うんですが、大河見てたらラストシーンが「晴れてこそ行け」だったから逆にビックリしました…。

というわけで、成実の辞世の表記のブレをまとめて見ました。意味は全部同じですけれど。

  • 古モ稀ナル年ニ九ツノ余ルモ夢ノラチニソアリケル-『義山公治家記録』
  • 古に稀なる年に九つの余るも夢のうちにぞありける-『伊達成実』亘理町の冊子
  • むかしより稀れなる年に九つの余るも夢のなかにこそありける-『伊達政宗とその武将たち』/『仙台市史』
  • いにしへも希なるとしを九つを 過るも夢のうちにぞ有ける-『蟻坂文書』*2
  • 古来より稀なる年にここのつのあまるも夢の中にぞありける-サイト『成実三昧』
  • 古に稀なる年に九つの余るも夢のうちにぞありけり*3-『亘理町史』

それぞれ元史料ではなく、流布に貢献している一般出版物及びサイトより。
私は、どれがどの史料からの参照なのかがよくわかってないです。辞世の最終稿ってどこに載るものなのでしょう…。義山公治家記録の成実命日に載っているのかも知れませんが、義山公を持っておらず…orz→義山公見させてもらったのでチェックしましたら、ま、また微妙に違う…。たぶん「ラ」は「ウ」の誤記なんでしょうけど…。

ちなみに私はずっと二つ目亘理町冊子と同じ「古に稀なる…」で覚えていましたが、この冊子手に入れたのはごく最近(今年の5月)なので、元々はどこで見て知ってたのかが自分でも記憶が曖昧です。もしかしたら昔亘理町の役場の方にいただいた資料からかな?
意味としては「古希より9年も長生きしたけど、ずっと夢の中でありました…」ですよね。
個人的には「一生ずっと夢でした…」という印象を持っております(「も」だから)。わりと素朴な、素っ気ない歌ですが、私はとても好きです。
秀吉の「露とおち露と消えにし我が身かな難波のことも夢のまた夢」や、家康の「嬉しやと再び覚めて一眠り 浮世の夢は暁の空」をちらっと想起します(家康はともかく秀吉は創作っぽいですけど…)。
ちなみに『亘理世臣家譜』見てて見つけた成実の殉死者の辞世はこちら。

常盤元定「月の入るあとをしたいてやがて身は 同じ道にと行くすえの空」
前田実信「をしと思う月にこころをおもい入りて かげも我が身もともに消えぬる」
但木直次「おのづからすます心の雲はれて まことの月のひかりをぞ見る」

をしは「惜しor愛し」です。後者だと思うね…。
政宗の殉死者の歌もすごい力作揃い*4ですが、殉死者の方の辞世ってほんとラブ全開でステキです。

歌はほんとに素人なもので、ご意見ご指摘お待ちしております。

*1:治家記録が「照らしてぞ行く」、成実系著作や木村本は「晴れてこそ行け」。

*2:蟻坂花子『河北の臣』より転記

*3:「ぞ」の係り結びなら「ありける」じゃないですか…成実様…こんなところから浮かぶ、歌は苦手(控えめな表現)疑惑…。

*4:青木さんのいいですよね!