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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

『仙台士鑑』一人を誅して万人を鎮す

『仙台士鑑』81p「一人を誅して万人を鎮す」:一人を処罰して、みなを鎮めた

(*逸話ですので、内容の信憑性はご自分でお確かめの上、お決め下さい)
【追記】このエピソードは『政宗記』巻7「会津にて騒ける事」にも載っています。

原文:

公の小田原に赴くや成実命を以て黒川城を守る葦名氏に勝て新に得る所今の会津若松城なり一日修験宝尺なるもの倉皇来り告げて云く街説あり越後の士、代て此地を領すと商道に安んせす民荷担して起つもの踵を接す騒然たると両三夜と成実云く汝何人よりか此事を聞ける具に白せと宝尺云く街説紛々知らさる者なしと成実怒て曰く汝聞くもの一人を挙げずんば死に処せんと宝尺、七郎右衛門なる者を挙く成実之を召して糺明す連繋十八人を得、遂に伊達七郎の妻某帰す命して之を斬らしむ城中粛然たり七郎公に従ひ小田原に在り妻某門傍の仲間牛之助なるもの鑓広間に取り出てて警戒するを見憶説、魚商に告げ遂に延て四方に及ぶと云ふ
尚武子曰く 公此時乾坤を堵す会津にして動く 公が為めに利ならず区々 巷間と雖も断々焉、之を処して仮さす成実能く留守の人を尽すと謂ふべし
又曰く小事にして大事を醸すもの之を未発に防がざるべからず之を未発に防ぐ唯うれ機を見る神の如きもの焉を能くす

倉皇:あわてて、いそいで。
紛紛:入り乱れるさま・大変多いさま/華などが乱れ散るさま
連繋(れんけい):互いに密接なつながりを持つこと、またそのつながり

拙訳:

政宗公が小田原に赴いたとき、成実は黒川城を守る命令を受けた。蘆名氏に勝って新たに得た領地が現在の会津若松城である。
ある日山伏の宝尺という者があわてて来て「越後の侍がやってきて、この地を治めると、街の噂になっている。人々は街頭で落ち着き静まらず、荷物を担いで逃げようとするものであふれ、ここ数日間騒然となっている」といった。
「おまえは誰からこのことを聞いた。詳しく言え」と成実は言った。
宝尺は「人が入り乱れて知らないものはない」と言った。
成実は怒り「おまえがこれを聞いた者一人を挙げないのであれば、死刑にする」と言った。
宝尺は七郎右衛門という者の名を挙げた。成実はこれを呼び出し、取り調べた。つぎつぎ18人が捕らえられ、ついに伊達七郎の妻某が自首してきた。成実はこれを斬らせた。
城の中は引き締まるように静かになった。七郎は政宗に従って小田原に居た。妻の仲間である牛之助というものが鑓を広間に取り出して警戒していたのを見て、憶測をし、魚売りに告げ、噂が広がったのだという。
さらに武子は「政宗公はこの時一か八かの勝負の場面だった。会津にて動乱があるのは政宗の為によくない。一般市民であっても処罰することを決め、これを処分し、許さなかった。成実はよく留守居役を勤めたと言えるだろう。つまらないことから大事件が起こることを防がなくてはいけない。【之を未発に防ぐ唯うれ機を見る神の如きもの焉を能くす】*1」と言った。

感想:

ほのぼの髭エピソードから、いきなり恐いエピソードです。小田原参陣時の留守居役時のエピソードのです。
噂が越後が攻めてくると流言が飛んだのを、果断に処罰した姿です。
はい。怖いです。『政宗記』でも合戦中冷静に見てるように見えて、現代人の目から見るととても感覚が恐いエピソードとかあったりして恐くなります。もちろん武人ですし、当時はこれぐらいの感覚なのでしょうが、比べて見ていても、同時代人な政宗よりもさらに苛烈な性格だなあと思うところもあったりなかったり(印象論ですが)。

そして『仙台士鑑』の解題がどこいっても見つからず… 。矢野顕蔵が、明治33年に出したものみたいなのですが、前書きが激しくライトウイングでビックリします。仙台藩士の逸話集?なのでしょうかね。武子って誰なのか。

*1:中国の諺みたいですが意味がわかりません…御存知の方お教えくださいませ…