[sd-script]

伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

成実の前立てについて(2022年追記あり)

(このエントリに使用しました写真はすべて写真後部に明示されておりますアドレスのウェブサイト及び書籍ページをキャプチャしたものです。記事の改変は一切行っておりません。キャプチャしましたのは、サイトの消滅・改変による記述変化を記録するためで、2013年1月に行いました。著作権法の引用慣例に従い、掲載しておりますが、問題がありましたら、ご連絡いただければこちらで対処いたします)

前回からの続き

以前創作におけるイメージの変遷というエントリで、いろいろな創作によって固定化したイメージやストーリーの話をしまして、そこで成実の前立ては毛虫なのか百足なのかということに少し触れました。
というのも、今でこそ成実の前立てが百足だという説が流布していますが、個人的な記憶でいいますと、NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』が放送された1987年から90年代には聞いたことがなかった説なのです。
(1984年発行の『伊達政宗のすべて』や1986年発行『伊達政宗とその武将たち』などでは百足というよりさらに毛虫であるか否かという言及もされていません。もちろん北海道伊達市の毛虫兜の存在は知っていても、とりたてて成実の代名詞のようにいい立てることでもないという認識でしたし、前立てならむしろ伝実元や伝成実の三日月様前立て(つまり政宗のアレにそっくりな…)の兜の真偽の方がよっぽど気になる…ぐらいでした)

では、一体いつ頃から、どのようにして成実の兜は百足であるという説が発生したのか?
を、ネット上の情報を主に、いくつか問い合わせをし、現時点でわかったことをまとめました。

(このエントリは、百足由来としてデザインしている創作作品やその作家さん、百足と書いてあるサイトなどを非難・攻撃する目的のものではありません。あくまでイメージの変遷・変容具合を確かめたいという目的です。特にビジュアル創作の場合、両方の説があることを知った上でデザインの為にあえて百足にされた場合が多いと思います)

成実の前立ては百足?

いま「伊達成実 兜」「成実 前立て」などでググると上の方にこういうページが出てきます。
Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1166753241
2011/7/17投稿
んん? 兜はともかく、成実の百足の旗指物? それはどこからきた…?

あるTwitter成実botのツイート。2011年4月15日投稿。

https://twitter.com/sige_bot/status/59153061100269568
ちなみに佐竹さんの兜は横向きの毛虫ですね。素材はおそらく同じように熊毛。

2011年制作・放送の『戦国★男士』(伊達政宗が高校生という設定の現代パロディドラマ)での伊達成実(演:平野良)人物紹介ページ。
http://www.tvk-yokohama.com/sendan/relation/jinbutu02.html#01ページが見つかりません

赤いスカジャンに、百足の模様が入っています。

Wikipediaでも
百足の項

毛虫の項

といった感じで、良心的なサイトでは毛虫と百足を併記してあるところもありますが、現時点ではやや百足優勢で、流布しているようです。

NEVERまとめ 戦国武将のオモロ兜・甲冑/2012年8月30日更新

http://matome.naver.jp/odai/2133715851085504501サービス終了のため閲覧不可
などでも取り上げられており、一般的にこれが成実の兜であり、そしてこれは百足である、という認識が広まっているようです。

岩出山の鎧・兜に関して

この兜は岩出山の道の駅(あ、ら、伊達な道の駅)に飾られている、レプリカというか、新作鎧。このデザインのもとになった鎧はないようです。

この鎧を製作したのは、丸武産業という会社(http://www.yoroi.co.jp/)で、他のいろいろな場所で展示されている伊達家関連の複製甲冑を多く手がけておられます。こちらの担当者の方からご回答をいただきました。(メール転載許可済み)

> 添付の御写真の甲冑は確かに弊社の甲冑です。
> 甲冑はNHK大河ドラマ独眼竜政宗で
> 伊達成実役の三浦友和さんが着用された甲冑に似せて作られてますね。
> 大河ドラマの甲冑は大河ドラマ関係者の人達が決めますが
> あの甲冑を本当の伊達成実が着ていたと言う話は私も聞いた事がありません。
> 良く時代劇で使われる兜ですので、色々考えてあれになったと思います
> お写真の甲冑はその頃に、それに似せた感じで、製作されたものだと思います。
> 又正式な名称は無いですが、あの前立は毛虫をモチーフにしたものです。

一応現存する成実の使用した鎧と伝えられているのは、
http://shigezane.fc2web.com/majime/nazo/gusoku.htmlサイト移転のため下記のリンクへ移動
http://shigezane.info/majime/nazo/gusoku/gusoku.html
こちらのページ(「伊達成実の具足と陣羽織」ー成実三昧)の一番上のもの、北海道伊達市の開拓記念館所蔵のものです。
(ですが、こちらもあくまでも「伝」だそうです。年代や使用者については疑問が残るのだそうです。詳しくはリンク先参照)

NHKの大河ドラマ独眼竜政宗が放映されたのは1987年1月〜12月。
独眼竜のときの鎧・前立て制作の裏話が載っているページがこちら(NHKの過去の大河ドラマ特集ページ)。
http://www9.nhk.or.jp/taiga/special/best10_07/index2.htmlページが存在しません
明確に「毛虫」とかかれており、「百足」記述はありません。
岩出山の兜前立てはこれに似せて作られたものということですが、前述のまとめサイトなどで成実の兜として引用されている写真はこれを使っています(同じ形のレプリカがいくつあるのかは不明)。

そして謎の百足兜

http://blogs.yahoo.co.jp/takayuka0091/60599708.htmlサービス終了のためリンク切れ
これは、2010/05/18に投稿された、百足のいろいろについてのページ。


こちらの記事では、百足を兜に使用する例として成実をあげ、それと並立して「百足を染め抜いた旗指物を使う武将がいた」ことを述べています。本文を読めば混同はしませんが、前述のYahoo!知恵袋の筆者の方などはおそらくこのように書いてあるページを見て「成実が百足の旗指物を使っていた」と誤読なさったのかもしれません。

このようなページなども。
http://pub.ne.jp/kanseidow/?daily_id=20120909現在サイトが存在しません
2012/09/09投稿。

ところで、よく成実の写真と並べて張られているこの写真の兜はだれのもの?
画像検索したところいくつかページがヒットします。

http://jinroku.com/syohin-mukade.htm現在サイトが存在しません

このページでは、百足=毘沙門天の化身とは書いてありますが、成実の事は書かれていません。

ではこの兜はだれのものか?

答え:これは国立歴史民俗博物館に所蔵されている、「百足前立南蛮鎖兜」です。よく見ると兜の部分が鎖帷子になっているもの。

写っている兜は同じものです。
これは、赤瀬川原平著『赤瀬川原平の日本美術観察隊 其の1・2』講談社/2003からの引用であることがわかりました。

赤瀬川原平『日本美術観察隊その1』講談社/2003の「変わり兜」より引用転載。

成実使用兜とは書かれていません。

また、こちらの本にも載っています。

須藤茂樹『戦国大名変わり兜図鑑』新人物往来社/2010の140p
こちらの最後の文に注目。こちらはしっかり百足と書いてあります。
この書き方ではこの兜=成実のものと読んでしまう人は多いかも。

この兜に関しては国立歴史民俗博物館から

  • これは歴史民俗博物館所蔵の上田綱次郎武器武具コレクション「鉄一枚張南蛮鎖兜」であること。
  • この資料の詳細な記録がないため、誰が使用したか、どの家に伝来したかはわからないこと。

という情報をいただきました。
とりあえず現時点では有名戦国武将が使用したものかどうかも、年代もわからない。
まして成実使用とは判断できない、と思われます。

ネット上にある古い記事

このふたつの本がきっかけではないか?と推測し、2003年を境にしてそれ以前の、グーグルの期間検索をかけてみました。
グーグルサービス開始後、毛虫の古い例は以下の通り。
2001/1/31抽出。

http://park6.wakwak.com/~masamune/kashin.html#shigezaneページが存在しません
1999年に開設された伊達サイトの家臣の項。
毛虫と断言しています。

亘理伊達氏の移住先、北海道伊達市の噴火湾研究所のサイトより。

http://www.funkawan.net/kinenkan/ub.htmlページが見つかりません
毛虫と断定しています。まあこちらは本家本元というか…ですけども。

2ちゃんねるスレ

http://mimizun.com/log/2ch/history/1007078466/ページが見つかりません
2002年1月12日。
百足前立ての赤茶色の鎧→毛虫前立ての仙台胴の鎧と述べています。
赤茶色の鎧とは岩出山の鎧のことでしょうか。

2ちゃんねるスレ

http://mimizun.com/log/2ch/history/1020175494/ページが見つかりません
2002年5月7日の書き込みです。

一方百足の記事は
ネット上の、百足の最も古い記事。

http://www.eonet.ne.jp/~busyo/sengoku/l_ta.htmページが見つかりません
2001/1/31抽出なのでそれより前に認識としてあった模様。

前田利家の兜の話で、成実の百足説に触れる。


http://okwave.jp/qa/q348097.html
2002/9/8投稿。

こちんぴ秘宝館。

百足といっています。
http://www.cotinpi.com/hihoupage53.html
2002/9/30投稿。

結論?

結論:いつから始まったか、いつごろから流行したか、明確なきっかけは
はい……わかりません…orz

こんな感じですが、とりあえず今回、現時点で言えることとしては

  • 岩出山の金属の毛虫兜は独眼竜の毛虫兜を模してつくられたもの。独眼竜の毛虫兜は大雄寺の木像を参考にしたこと。で、この形の、成実が使用したとされる前立ての兜・鎧は現存しない。が、この兜を百足と認識している人も多い。
  • 百足の言説が増えてきたのは2003年頃から? しかし、百足ととる人も少数ながら以前からいた模様。
  • ネット上で、「(成実のものではない)百足の旗指物・歴史民俗博物館所蔵の百足の兜」を成実のものと誤読しそうな文章(おそらく記事筆者はちゃんと区別している)が流布しており、混同している読者がいる模様。
  • 百足認識が広まったのはおそらく90年代後半から2010の間。現時点(2013)では特に創作分野において(おそらくデザイン重視のためにあえて)百足優勢。
  • 2010年以後は書籍・雑誌でも百足とするものが登場し、定説化している。
  • グーグル検索でたどれる限りは、2003年以前は毛虫の言及の方が多い。創作などの展開を考えると2000年代半ばごろから百足説が定着した?(しかし、まだ憶測の段階です)

とりあえずネットでの探索でわかることはこれが限界なので、残りは90年代後半から2010にかけてでた鎧・甲冑・兜辞典をしらみつぶしに探してみるしかないようです…orz 流布・伝播の中心はネットにしても、その元となったなにかの本での混同がいつから始まったのか…。
引き続き自分でも調査はしていきたいです。
何か情報お持ちの方いらっしゃいましたらどうかご一報をお願いいたします。よろしくお願いいたします。

【20130208追記】

図録「伊達政宗と武将たち」(仙台市博物館発行。前述の飯田勝彦・新人物往来社のものとは別のものです)を見ていたら「百足」でこんなものを見つけました。

鈴木家に伝来する、鈴木重信(元信)が使ったとされる旗指物だそうです。
たまに百足関連記述で出典ナシで上げられていることがありますが、これは成実が使用した旗指物ではありません(成実の旗は青色の縦長、無地のものが現存し、肖像画にも使われています)。
ちなみにこの本でも成実の前立ては宮城県亘理町大雄寺の木像も「毛虫である」という記述です。
鈴木は元信の代から政宗に気に入られ仕えるようになった家臣で、当然のことながら成実はその前からお客大名→一門衆として伊達家にいます。
もとから伊達家にいた成実が百足モチーフを使っていたとしたら、身分的に格下である元信が同じ家中で同じモチーフをつかうだろうか…?とちょっと疑問です。
もちろん旗指物と兜の前立ての違いはありますけれども。

【20220909追記】

2013年9月20日発行の、美術史家の橋本麻里さん著『変り兜 戦国のCOOL DESIGN』で、歴史民俗博物館所蔵のムカデ兜が成実兜として紹介されていました。



これをTwitterでお聞きしたところ、橋本麻里さんから、以下のようなリプライをいただきました。


(@zhenzai1568は私の旧アカウントです)

橋本さんによると、伝伊達成実所用兜という伝承は博物館からの表記に従ったということで、私が問い合わせたとき(*上記2013年1月)の認識とは食い違っています。
美術史上の「伝」の扱いが、どのようになっているかはわかりませんが、たしかに、北海道伊達市に伝わっている毛虫の前立ての甲冑であっても江戸期のものである可能性があります。
(たとえば、白石宗実のものとされていた「也」前立ての兜がおそらく養嗣子の白石宗直の物であると思われるなど)
つまり、成実のものではなく数代後の当主のものである可能性もありますが、代々子孫の家に伝えられてきたものを「伝」とするのと、まったく別のところに所蔵されていて、何の伝承のないものを「伝」とするのは、同じ「伝」でもかなりの差があると思います。

結論続き【20220909追記】

この記事を書いた時期から、北海道伊達市所蔵の毛虫兜の甲冑の露出が多くなったため、当時は両論併記もしくは百足優勢だった兜の記述が、毛虫優勢になったように思います。
そのため、現在(20220909)では、伊達成実のWikipediaなども、成実が使っていたのは毛虫の前立てである(という説が有力である)と記述が変わりました。

現在の成実のWikipedia(20220909スクショ)。

また、大雄寺所蔵の木像が2020年に修理に出された前後の情報をいただきました(2020年大雄寺、御開帳時の説明会においてなど)。

  • 形がムカデ様ではなく、あきらかに毛虫様と思われること
  • 木像自体が成実の死後71年後の正徳5年(1715)年に作られたこと
  • 毛虫前立てがあとから付け足されたものらしいこと
  • 過去の写真から、毛部分は横にのみ伸びているのではなく、四方八方からのびていたこと

がわかったそうです。
なので。

  • 2代目前立て?が、毛虫として作られたのであれば、その前のものも毛虫だったのではないか?
  • 別の物がつけられていたが、調査が行われ、毛虫に付け替えた?

とも考えられるのではないかと思います。

木像の前立てに関してはこれからも調査を続けられるそうなので、実際の前立てについても今後わかることもあるかと思います。
注視していきたいと思います。
肖像画の方も長さは短いですが、毛虫に見えます(もちろん肖像画も後世のものですが)。
とりあえず今のところ成実の兜は毛虫であると(少なくとも肖像画・木像前立ての作成時点では)思われていたと判断できるのではないでしょうか。

だいぶ前に作成した記事なので、多くのネット記事がリンク切れになっています。ご了承ください。