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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

小十郎が助けた子ども@高玉合戦

どうでもいいことですが、昨日上げたくじ引きと小十郎エピソードがいきなりアクセス数トップ3内にランクインしており、小十郎さんの高い人気に嫉妬しておるブログ主です…(ちなみにすべての記事でトップなのが、未だに榎木孝明さん@小十郎トークショーだったりします…)。ここ成実ブログなのに…どうして…。
あまりに悔しいので、もうひとつの『政宗記』に出てくる小十郎さんステキエピソードである【小十郎が子どもを助けた@高玉合戦】を上げてみることにします!!(笑)
普段成実成実いっておりますが、私小十郎さんもだいっすき!です!よ!(笑)

というわけでまず『治家記録』記述から

高玉太郎左衛門最後に臨て妻子を害せし時に、三歳の男子を乳母頻りに乞い、ひそかに負うて出つ。濫妨人どもこれを捕らえて引き連れ行くを、藤五郎殿仲間等見て、濫妨の物を奪い取り、ことごとく斬殺す。乳母をも斬しに、即ち転び倒れ、彼子を下に敷きて伏居たり。大勢の紛れに斬殺したると心得て、そのまま棄て置きたり。総御人数引き挙げ夜に入りて後、乳母起きて見れば深手にも非ず。即ち彼子を抱き、彼子の再従兄弟高倉城主高倉近江義行所へ行きて此の子を助けよと云うに、近江も左右なく助くるを気遣いに思ひ、男子といわず、女子なりといいて片倉小十郎に相談す。異議なしについて養育す。小字四郎、後に新左衛門と称す。
成実記録に三歳の女子とし、成長の後蒲生氏郷一家の臣蒲生源左衛門が家士に嫁せりと聞し由知るせり。はじめ近江謀りて女子なりしと称せしを以て此の説ありしと見へたり。
(貞山公治家記録天正17年5月5日条から、送り仮名などを補足)

【現代語訳】
高玉太郎左衛門が落城に際して妻子を殺そうとしたときに、三歳の男児が居た。乳母がしきりに望み、ひそかに背負って脱出した。略奪者たちがこれを捕らえ、引き連れていたところ、成実の配下の者たちがこれを見つけ、略奪した物を奪い取り、ことごとく斬り殺した。乳母も斬られたが、すぐに転んで倒れ、その子を下に敷いて伏せていた。大勢に紛れて、殺したと思い、そのまま棄て置いた。
すべての手勢が城から引き挙げ、夜になった後、乳母が起きて、見ると、傷は深くなかったので、子を抱いて、此の子の又従兄弟にあたる高倉城主高倉近江義行の所へ行き、此の子をたすけて欲しいと言った。あれこれ云わずに助けるのはよくない結果になるかと思い、男子といわず、女子であるといって片倉小十郎に相談した。異議がないといわれたので養育した。幼名四郎、後に新左衛門と称した。
成実記録には三歳の女子とし、成長したのち蒲生氏郷家臣の蒲生源左衛門の家来に嫁いだと聞いたことを記してある。はじめ高倉近江が嘘をついて女子であると言ったため、この説があるのだろうと思われる。

この事件を、成実は『政宗記』ではこう書いています。

(前略)……太郎左衛門妻子を害するとき、生年三歳の娘を乳母、我にたべともらひければ、女なるに助けてみよとて、乳母に出す。是を取背負出ければ、御方(みかた)乱妨をせんとて引連けるを、本陣の小人ども、彼娘をうばひ取て斬けれども、閙敷(さわがしき)折柄なれば浅手なりしを、乳母の上にころびかかり下へ敷、惣軍引上ける後、起てみれば手も浅し、扨此娘は高倉近江(義行)亦姪なれば、高倉へ田舎道十里なるを、乳母抱て参り助け給へと申す。流石に近江も気遣して、片倉景綱に其旨申しけるは「一度斬給ふ者を、又とは有るまじき事也、幼少と云女と申、若御穿鑿にも候はば、御前をば某相心得べし」との所耳にて助るなり。彼娘後聞ば、成人して蒲生氏郷の家臣蒲生源左衛門(郷成)二男同名源兵衛(郷舎)妻女になり、子女両人出ける由承りて候。爾して政宗五日の夜は本宮迄引込給ひ、六日には大森へかへり給ふ事。
(『政宗記』巻六「安久ヶ島出城附高玉落城」の後半)

【現代語訳】
高玉太郎左右衛門が妻子を殺害しようとしたとき、生まれ年三歳の娘を乳母が私にお渡しくださいといったので、女であるから助けてみよと、乳母に渡した。乳母はこの子を背負い、脱出したが、味方が乱暴しようと引き連れていたのを、本陣の身分の低い者達がこの娘を奪いとって斬ったけれども、忙しくとりこんでいたところだったので浅手だったのを、乳母が上にころびかかり、下へしいてかばった。総軍が引き挙げた後、起きてみると浅手であり、この娘は高倉近江義行の姪の子どもであったので、高倉城まで田舎道十里ほどの道を乳母はこの子を抱えて走り、助けてくれと云った。さすがに近江も(かくまって)何があるかを心配して、片倉景綱にその旨をつげ相談すると、「一度斬った者をまた斬るというのはあり得ないことである。幼少であり、女児であると申し、もし(政宗に)細かく聞かれることがあれば、御前でのことは私がうまく取りはからう」との承諾をもらい、助かった。あとで聞いたことだが、この娘は大きくなって蒲生氏郷の家臣蒲生源左衛門郷成の次男蒲生源兵衛郷舎の妻女となり、子どもが二人できたということを聞いた。
そして政宗は五日の夜は本宮まで退却し、六日に大森へ帰った。

とあります。
こちらの方が小十郎の言ってるセリフが多くてかっこいい(笑)ので、大体同じ流れですが書き起こしてみました。

実際この子は男の子だったのか女の子だったのか。

  • 女→蒲生郷舎の妻女となり、子どもが二人生まれた(『政宗記』)
  • 男→幼名四郎、成長して新左衛門を名乗った。(『治家記録』)

とそれぞれ載っています。
おそらく後からしらべた『治家記録』の方が正しいのでしょうが、成実はそう聞いていたというのはたしかかと思います。子どもを直接みたんでなく、報告聞いただけっぽいですもんね。
蒲生郷舎は蒲生家中でおなじみの家臣源左衛門郷成の息子(とも弟とも)。
Wikipedia蒲生郷舎
郷舎の妻女については私もまだよく調べられてません。どこみればわかるのだろう…orz 蒲生家中難しい…。


多分男だったのだろうと思いますが、『治家記録』を全面的に信じられない理由がありまして。
『成実記』では、こう。小十郎はもっとかこいいことを言っていた!(笑) 下線部分がそのセリフです。

太郎左衛門三歳の女子を乳人もらい候て抱出候を、即ち御中間衆乱妨者の様にうばい切殺候。彼乳人切られ候が、閙敷候哉。少切候を乳人ころび、彼娘を下に敷臥、人数引上候て夜に入、乳人起上り候。薄手に候間、彼三歳女子を抱、十五里程参候。高倉近江また姪に候故、近江処へまいり、扶けくれ候へど申候。近江も機遣い申され、小十郎所へ其通申され候はば、一度切られ候者に候間、扶け申すべく候。御穿鑿候はば、御前の義我等にまかせ候へと申し付けられ、相扶候後は、蒲生源左衛門家中の女房に成候由承候。
(『伊達日記』群書類従版 中巻より)

【現代語訳】
太郎左衛門三歳の女児を乳母がもらいうけて抱いて脱出したところ、すぐに中間衆が略奪し、奪って切り殺した。乳母は切られたが、取り込んでいたところだったからだろうか、傷が浅かったのだが乳母はこの娘を下にしき、伏せて倒れた。軍勢が引き挙げて夜になったところ、乳母は起き上がり、傷が浅かったのでこの三歳の女児を抱き、15里ほど行き、大叔父である高倉近江のところへ助けてくれと頼んだ。近江はかくまって何かあると困ると気を遣い、片倉小十郎へそのまま告げたところ、小十郎は「一度切られた者であるから、お助けいたしましょう。もし(政宗から)細かくきかれたら、御前でのことは私に任せなさい」と、小十郎は言った。助けられた後は蒲生源左衛門家中の妻となったとお聞きしました。

『成実記』では、『治家記録』のように略奪者を成実の手勢が切った…のでなく、中間(=家来衆)が乳母達を見つけて切ったことになっています。
おそらく『治家記録』の書いてる感じは伊達家が悪く思われないよう略奪者がまるで別にいたかのように、だいぶ誤魔化しているのだと思われます(笑)。
成実も『政宗記』では「味方の乱暴者が略奪行為をしていたところを、本陣の家来たちが粛正した」的にかいていますが、『成実記』では中間衆が乱暴し、乳母を切ったが、ちゃんと殺したか確認していなかった…という流れです。
あと高倉まで15里って書いてるのを『政宗記』で減らしてる!
こういうとこが成実の誤魔化しであり、それを更に誤魔化した『治家記録』の嘘なんじゃないかな?と疑いたくなってしまう箇所です(笑)。もちろんちゃんと再調査はしての記述なのでしょうが、『治家記録』はやっぱり「藩の正史」である、というのを忘れてはいけないなあと。

結び(このブログ研究ブログじゃなく萌えブログだから)

この子どもが実際男だったか女だったかは、『治家記録』を信じるか、成実を信じるかによって違ってきますが、私は、
小十郎がかっこいいからどっちでもいいじゃん?
て真顔でつい思っちゃうのです…。
やー、かっこいい小十郎を書き記してくれてありがとう、成実…!!(≧▽≦)

ちなみに逆に『片倉代々記』に出てくる成実も大変颯爽としておりとてもかっこいいので私は大好きです…。ええ、石川さんとか留守さんとか宗直のとこの記録だと、成実はわりと酷いかかれようなのにね…。→詳しくは「他家から見た成実像」記事参照。


あと個人的萌えポイントとしては蒲生家中家臣の嫁になったという話を後で成実が聞いてたってことですよね〜。
いつ・どうやって・だれから聞いたのかな〜などと。
源左衛門とはその後もちょくちょく接点ありますし、郷成・郷舎親子も出奔・放逐が頻繁なので、そういうときに接触したりしたのでしょうか。
ただそう考えると女児だったんでないのかな〜と思うのですが(根拠はすべて妄想)。だって男の子で、嘘だったんだとしたら、蒲生ひっぱってきてまで嘘つく理由ありますかね?まあ推測です。