[sd-script]

伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『名語集』86:京都にて魚類店等の停止

『名語集』86:京都にて魚類店等の停止

原文

同日卯の刻、御他界に、江戸より京へ、早馬にて、同二十八日未の刻、上著し、奏聞ありければ、その時の所司代板倉殿(周防重宗)へ勅ありて、今日より三日は、都の内、魚類の店停止あり、見物事、髙声売買の儀も、三日の内、密々なるべきよし、仰付けられ、政宗が他界に、日の本の武道もなきがごとしと、公家・諸門跡たち、三日は表の門を閉ぢて、裏の門より出入ありしよし。諸人も有難く思ひ、肝に銘じ候となり。

地名・語句

奏聞(そうもん):天子にもうしあげること

現代語訳

同じ日(24日)、午前六時頃お亡くなりになり、江戸から京都へ早馬にて知らせ、同28日の午後二時頃到着し、宮中へ申し上げたところ、当時の所司代板倉重宗へ勅がありて、これから三日は京都の中は魚売りの店は営業を禁止すること、見物や大きな声をだしての売買も、三日の内は内密にするようにと御命令なされ、政宗が死んだことで日本の武士道もなくなったも同然と、公家・門跡たちは三日間表門を閉じ、裏の門から出入りしたようである。みなめずらしく思い、心にとめたという。

感想

政宗の死後、三日京都での服喪儀礼についてのべています。八条の宮・近衛信尋らと親交が深かったこともあるのでしょう。