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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

『伊達日記』110:赤国合戦

『成実記』110:赤国合戦
(番号・タイトルは便宜上当サイトにてつけたものです。原文にはありません)

原文

一筑紫、中国、四国の大名衆、唐海道、平安道、こふ海道、をらんかい切したがへ、去年は高麗人手と身と計りにて逃げ候間、飯米を取、四月迄在陣申候へども、日本より飯米相続かず候故、其通名古屋へ申上られ候処に、引除べき由御諚候。縦ば去年赤国のもくそ判官城を責候処に、判官功のものにて石火矢を打半弓を射、砂を煎りかけ湯をわかしかけ、芝に火を付なげ懸候故、けぶりにむせ、寄手衆死人多引除し所に、内より出合日本衆多うたれ候。此旨秀吉公きこしめされ、都より引除候人数、浮田中納言殿、加藤主計、黒田筑前、戸田民部少、蜂須賀阿波守、安芸の毛利殿、小早川、吉川、浅野弾正、政宗、岐阜の少将殿、衆を以赤国判官が城を取り申すべき候。人の損申さぬように長陣仕、討たいらげ申すべき由仰付られ候間、七月廿日比、赤国へ何も御越候。彼城南は大川にて岸高、三方は七間程の石垣に候。吉川は河の南向に陣取候。竹束を付仕寄なられ候。城内より日暮候へば、たい松を三間計りに一ずつともし候。加藤主計鼈の甲を作、人をのせ石垣の根へ押寄、其内より鶴のはしを以て石垣をこぢ候へども、大石にて成らぬ処に、城内より焼草を懸け、彼鼈の甲をやき破り候。かさねて牛の皮をはぎ、毛を下へなし、鼈の甲に張付、又押寄候処に、右の如く、焼草をかけ候。内に居候ふ者ども、有兼出候いて、一二人つるのはしにて石をこね返し候故、石垣崩れ、両人石に打殺され、一人生候。寄手これを見取付責候間破候て、城中のもの働くべきようなく、大川へとび入候所を、吉川人数の分出候間、ありくべき様もなく川下に瀬渡候所へ、寄手衆立切候故、水にをぼれ死候者も有り、多分瀬へながれかかり候を切殺候。高麗人は刀脇指を持たず候間、働くべき様も之無き三千余うたれ、七月廿九日落城仕候。本丸に土を深堀、下へわらを、其上に柴を敷、氷を一重置、又柴を敷、幾重どもなく氷を置候処御座候。蔵の内事の外寒申、熱時分にて何れも給申候。

語句・地名など

現代語訳

『政宗記』8-6:赤国合戦附政宗御感状 - [sd-script]
参照。人数以外はほぼ展開は同じです。

感想

『政宗記』8-6:赤国合戦附政宗御感状之事に該当する記事です。この次の記事111:秀吉の帰馬(未掲載/後日掲載予定)は、8-6と、『政宗記』8-7:名古屋御帰朝事と混じった記事になっています。
あれ? 『政宗記』で一万余りって入ってたところが三千余になってるよ!? 『政宗記』で盛りすぎだよ!(笑)