[sd-script]

伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

最近のTV番組2015秋

最近政宗がらみ、伊達家がらみのテレビ番組が立て続けにいくつかありましたので、その概要と感想をば。

BSTBS 『にっぽん歴史鑑定』20150907放送

「伊達政宗は何故天下をとれなかったのか?」
番組サイト

何故天下を取れなかったのか?ということで、政宗の人生をなぞりながら、最終的に「もっと優れた武将がいたから」ということで終わるのですが、佐藤憲一先生が出てらして、現物を見たことなかった金山寺過去帳(輝宗の子・政宗の弟という伝承が残る僧秀雄についての記述がある)が映ったので、大喜びしてしまいました。
白萩文書(元和年間に政宗が白萩を請うた書状)では「輝宗末子」と書いてあるらしいのですが、佐藤先生が金山寺過去帳に「輝宗二男」と書いてあることが『伊達政宗 謎解き散歩』に書いてあり、どんな風に書いてあるのかと思っていましたが、まさかテレビでこんな早々に見られるとは思っていませんでした。こういうテレビで特集されると、ずぶの素人や一般の歴史好きでは見ることの許されない史料などが映ることがあってありがたいです。
それに先日発見された、天正18年の秀吉の奥州仕置のための宇都宮下向に政宗が「到着できないので遅れます」と出した手紙も映っていました。
最終的に番組では、保春院義姫による置毒事件や小次郎誅殺の記述は疑わしく、小田原参陣の前に伊達家の存亡を考えて、そういうことにしておいたのではないか…と解釈していました。

BSフジ 『歴史に秘めた恋物語』20150907放送

「独眼竜が愛した妻 -伊達政宗と愛姫-」
番組サイト)(その回のみどころ

何故か上記BSTBSの番組と全く同じ日、同じ時間帯で放映され、Twitterでも「伊達好きだけど、どちら見たらいいか…」と悩んでいる人がいらっしゃいました。視聴者は絶対かぶるんだから、ずらしてくれればよかったのに…!(笑)
こちらは政宗とめご姫の関係性に話をしぼった番組。
若くして嫁ぎ、侍女殺害事件と不仲の日々を経て、人質として京・大阪・江戸に留め置かれ、仙台に来ることも出来ずに過ごした人生で、二人が徐々によい関係を築いていくのをわかりやすく説明していた番組でした。木村本に書かれている二人の関係や、いろはが出戻ってくるから共寝そろそろやめてください事件まで説明されてて微笑ましかったです。
先日、NHKプレミアムでの独眼竜花嫁道中で藤次郎くんを演じた渡辺大さんも出てらっしゃいました。もう一人の作家のゲストさんの勢いにたじたじでしたが、大さん見てると若い頃の謙さんにそっくり(それこそ藤次郎時代の政宗に)なので不思議な気分になりますね!

BSTBS 『新・日本道紀行』

・第24回 「阿武隈山地と伊達氏ゆかりの町」(9月13日)→亘理町
・第25回 「名水が育む豊かな山里」(9月20日)→新地町
・第26回 「歩いてきた道 これからの道」(9月27日)→新地町・相馬
番組サイト

偶然知ったのですが、女優の市毛良枝さんがみちのく潮風トレイルというルートを歩かれるシリーズで、26回で終わるのですが、ちょうど9/13の亘理町から見ました。
みちのく潮風トレイルについてはこちらを。
亘理町では称名寺を訪れておられました。
称名寺の入り口が前に私たちが行ったところと違った…(笑)。多分私たちが行くルート(大雄寺から歩いて行くルート)が裏側なんだろうけど、こっちの入り口は蓮だらけだ!綺麗! 蓮池でかい!(笑)
市毛良枝さんもしいのきの大きさに驚いてらっしゃいましたが、本当はいわき市くらいまでで、宮城には自生していないのだけど、古い方のしいのきはこの寺を作るときに植えられたのではないかとのことでした。今は天然記念物なのでダメだけど、昔は子どもが登ったり中に入ったりして遊んでたらしいです。*1
その次の「新地町」では政宗の孫右近(これが宗勝の息子の方か、宗実の子で伊東氏に養子に入っていた方かは不明)が愛した右近清水、龍昌寺などを回っておられました。

【20151029追記】その後またいくつか政宗関連の番組がありましたので、このエントリに追加します。

BS11『とことん歴史紀行』20151019放送

『伊達政宗〜独眼竜が夢見た天下〜宮城・仙台』
番組サイト

仙台を中心とした紀行番組。
仙台城がどのようなつくりであったか、そのことからどういうことがわかるか(→政宗が仙台城を建てたときはまだ戦への備えを重視していたことなど)、瑞巌寺のつくり、政宗が作らせた建築の粋、仙台味噌や仙台駄菓子などを紹介。

BS日テレ『片岡愛之助の解明!歴史捜査』20151022放送

「奥州の覇者 伊達政宗 天下への野望の真実を追え!」
番組サイト

義姫置毒事件と、小次郎誅殺事件を、最新の資料(虎哉宗乙の義姫出奔時期が文禄年間だったことを示す書状と大悲願寺過去帳&白萩文書)を紹介しつつ、過去の定説であったこの二つの事件が作られたものではないかと指摘し、その二つの事件が、政宗が死んだときのための予防策だったのではないかと推測。
また、慶長遣欧使節は天下を狙ったわけではなく、慶長三陸沖地震後の貿易による特需を期待しての公共政策だったのではないかという説を紹介していました。
過去帳や白萩文書にお寺の僧侶さんが結構気軽に触ってなさったのが驚きでした(笑)。

最後に

もともと政宗を取り上げる番組は他の武将と比べても多い方だとは思いますが、何故かこの秋は重なったようです。個人的にはまだ自分では見たことがない、金山寺過去帳の秀雄出自についての史料や、虎哉宗乙書状が映像で見られたのが嬉しいです。
あと、この記事内で上げました、『新日本道紀行』の後番組『新日本歩く道紀行』は、福島出身のなすびさんが福島を歩いてらっしゃいますが、それも非常に面白く見ております。

*1:私が、「政宗の実子であり、成実の養子である人」としか認識してなかった伊達宗実という人を、なんとなく一人の人物として見始めるきっかけになったのは、称名寺のしいのき(に守られるように立つ彦兵衛たちの墓)でした。もし、亘理に行く機会があれば是非見てほしいです。ホントに感動する…。 私も寺の存在自体を知らなかったのですが、去年御霊屋開帳に行ったときに、学芸員さんが「二代の宗実は大雄寺より別の寺を愛していたようです」と仰っていたので、Tさんと一緒に行ってみたのが初めでした。