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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

2015秋登米涌谷仙台亘理

10/16~18でした

今年は、初夏に宮城と福島(郡山&会津)行く予定だったんですが、台風接近のため泣く泣く福島のみにし、仙台はキャンセルしました。それがとってもとっても口惜しかったので、秋にリベンジ!(≧∀≦)
夜行バスで仙台に着き、本屋で買い損ねていた『宮城県の歴史散歩』を購入。普通の観光ガイドブックでは飽き足らない歴史オタクの皆様にはオススメです(というか歴史オタクならみんな知ってるだろうけど)。私宮城のは持ってると思っていたのですが、出発前確かめてみたら間違って福島県を二冊持っていました。あほです。
というわけで朝到着してア○ルの本屋で買いました(笑)。

宮城県の歴史散歩

宮城県の歴史散歩

  • 作者: 宮城県高等学校社会科(地理歴史科公民科)研究会歴史部会
  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 2007/07
  • メディア: 単行本
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まず登米

県南(亘理とか亘理とか白石とか…)はよく行くので、できればまだ行ったことのない県北に行ってみようと思い、思い切って武家屋敷通りがあるという登米へ。
登米は白石宗実が嫡子がいなかったため、宗直が跡を継ぎ、登米伊達氏となります。宗直の死後忠宗の五男五郎吉が跡を継ぐ予定でしたが、死去したためその同母弟宗倫が跡を継ぎます。
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登米伊達氏が入った寺池要害跡。
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本丸跡が城跡公園、二の丸跡が登米懐古館となっており、政宗の具足・綱宗の脇差や自作の茶碗などが保存されています。宗直or宗実所用具足と言われる、「也」の前立ての兜も初めてナマで見ました。
箙(矢を入れる道具)にとんぼの絵が描いてあったのが印象的でした。
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武家屋敷のうちのひとつ、鈴木邸が春蘭亭(一部カフェ・ギャラリー)として開放されており、中に入って見ることができます。係の人にお聞きすると、敷地は200坪(建坪は50坪くらい?)くらいで、鈴木家は50石程度の中程度の武士(仙台藩から見ると陪臣ですが)だったそうです。
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槍や薙刀が置いてあるスペースがあったり(一番上のは大砲を掃除する道具だそうです)。
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ロフトみたいなスペースがあったり。
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そもそもこの勝手口から入ってすぐにいろりが在るのがビックリです。
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登米のゆるキャラだてなりくん。

では次は涌谷へ

涌谷は伊達稙宗の子元宗を始祖とする伊達家の一門第四席涌谷伊達家のお膝元。
元宗は亘理家へ養子に行き、その子二代重宗・三代定宗と亘理家でしたが、政宗から伊達姓を賜り、元の亘理家は政宗の庶子宗根が継ぐことになりました(高清水→佐沼亘理氏)。涌谷伊達家は明治後、亘理姓に復姓されたそうです。
成実サイトとして付け加えておくと、この二代目重宗の長女が亘理御前と呼ばれる成実の一人目の正室・玄松院で、三代目定宗の姉になります。成実がその後亘理に入って、亘理伊達氏と呼ばれるため、分かりづらいですが、亘理伊達氏は成実ー宗実ー宗成と続く家系、伊達氏(亘理氏)はこの重宗ー定宗ー宗重ーと続く家系のことで、涌谷伊達氏と呼ばれていて、全く別の家です。ややこしいですけども…。
ちなみにこの定宗の長子宗実が死に、戻ってきて跡を継いだ二男が伊達騒動の中心人物、伊達安芸宗重です。亘理伊達氏の二代目も(安房守)宗実なのでホントにここらへん名前ごっちゃに…。何故同じ頃に生まれた親戚の男児に同じ諱をつけるのだ…。
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JR涌谷駅から北東へ向かい、涌谷大橋を渡ると、北側の高台に涌谷要害があります。現在は城山公園となっており、天守閣風展望台のある、涌谷町立史料館が建っています。一階が古代(東大寺の大仏つくるときに作った黄金が出た黄金山がそばにあります)、二階が伊達氏含め中世〜近世の涌谷、三階が展望台になっています。
安芸宗重を祀る涌谷神社も一緒にあります。
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これは太鼓堂の再建。屋根の上にあるシャチの飾りは一門だけに許されたものだったそうです。すると亘理要害の屋根にもあったのかな…?
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城山公園の様子。
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涌谷大橋をまっすぐ北東へ600メートル程進んだところを右手に曲がったところに見える寺が宗重以降の菩提寺である見龍寺。あいにく御霊屋は閉まっていましたが、宗重の三回忌に建てられた御霊屋だそうで、それ以後涌谷伊達氏の菩提寺に。本堂の如意輪観音像は涌谷伊達氏・亘理氏の先祖である千葉常胤が作らせたといわれているそうです。
…でも宗重以降ってことはその前の三代はどこに葬られているの?と史料館でお聞きしたら、別の場所にある、とのことで。
とりあえず重宗のだけ御存知との事で、史料館の方から地図を見せてもらって単身行くことに。
これが…
……大変な結果に!(笑)
江合川にそって延々と歩いたあと、右へ曲がり、更に歩いて五キロ。「20分くらいかかるよ〜行ったことないけど」といわれましたが、私40分近くかかりました…。
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歩道がなくなりました…。本当にあるんだろうか…と途方にくれかけたとき、顔をあげると牛が!かぐわしい香りが私を待っていた!で、どうみても民家の畑の真ん中にそれが!
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右が亘理(伊達)重宗墓、左が真如院(相馬盛胤娘)墓。
結構草ぼーぼーで…その前にホントにふっつーの民家の畑の真ん中にあって…なので、本当に入っていいのかためらいましたが、一応ここまできたのだからと勇気を出して…。
離れたところにあるということで、城や町を見渡せる場所なのかと思いきや、思い切り離れた上に山もあるので城も町も見えず、なぜこんなところに墓を…?と思ったのですが、ホテルに帰った後調べてみたら、元宗・定宗の墓はもっと辺鄙な処にあること判明。
涌谷町/涌谷伊達家墓所~町指定有形文化財~
地図でいうと、
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一番遠い定宗の墓がある大貫村の祇劫寺までは城山公園およそ10キロ!(元宗の墓がある日枝神社はその1キロくらい手前らしい)ホントになんでこんなとこに…?亘理氏は亘理から移封されてきたので、祇劫寺や日枝神社が元々の菩提寺や氏神というわけでもなかったはず。*1
なぜなのかわからん…もしこの理由とか御存知の方いらっしゃいましたらお教えください…。本当気になる…。
重宗墓を探しているうちにすっかり日は暮れてしまい、この日はそのままJRで仙台まで帰着。
本当は行きに電車で通った松山(茂庭氏がいたところ)も寄れればいいな〜と思ってましたが、今回はパス!

ところで、実は登米で「次にどこにいくの?」といわれ、「涌谷に…」といったところ「あー」と微妙な雰囲気が。
なんでだろーと思ったら、だ、伊達騒動の発端になった伊達式部と伊達安芸の境界争論とかをど忘れしていました!式部が登米領主で…安芸が涌谷領主で…その後のいろんなのを含め、バチバチなお家柄だった…。一門衆はホントにどこも「席次はともかくウチが一番!」意識が強くて…微笑ましいですね…。

仙台

この日は一時からの仙台市博物館での講演会(先に要申込、抽選あり。満席だったらしい)があるため、まずバスで仙台駅から仙台城跡まで登る。
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バーン!空も綺麗です!町もよく見えます!
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もいっちょ。かっこいいですね!
ちなみに昼頃ならおもてなし武将隊などもいるらしいのですが、私がいったときは武将隊のぶの字もいませんでした…見たかったのに。
城跡史料館では、遣欧使節の足跡として、メキシコ・スペイン・ローマのいろんな場所の写真が飾ってありまして、それに一番興奮しました。アカプルコ!タスコ!クエルナバカ!シティ!*2
そこから三の丸の市博まで降りてきまして、これを見ました。
仙台市博物館 - 特別展・企画展 | 仙台市の宇和島特集!
仙台市博物館 - 常設展 | 仙台市の片倉家特集!
なんか片方だけなら来なかったかもしれないのですが、この二つ組み合わせで合わせて一本という感じでつい来ちゃいました…。
宇和島特集は、私が宇和島行ったことないからというのもありますが、初めて見る物が多くてかなり興奮しました!秀宗着用童形装束とか、子どもの小袖とか、宇和島に伝わっためご姫の琵琶(まあこれは真偽が疑われているらしいですが)青山とか、綱宗作指面(指の大きさの能面100個!)とか、嫁入り道具とか、大柄だったとされる三代藩主宗贇の巨大鎧とか、もう本家には残ってないらしい柴舟のかけらとか。
他にも貴重な物がたくさんありましたんで、ぜひぜひ見に行っていただければと思います。図説見てるだけでもファーってなる!(笑)
片倉家特集では、一番気になったのは、すごくラテンアメリカの意匠っぽい陣羽織がありまして、常長が持ってきたものとされているのですが、なんでそれが片倉家にあんだろ…?というのも含めて、もえもえ致しました。本当にメキシコのインディへナが今でも着ていそうな意匠の陣羽織だったので、いちメキシコ好きとしても大変興奮いたしましてございます。

んで講演会『政宗と秀宗-親子の絆-』

一時から三時まで。手紙の本でおなじみの、佐藤憲一先生の講演でした。
秀宗の(ひいては新造の方の)出自から、秀吉政権との関わりと時代の移り変わり、宇和島入部から、どのように政宗が秀宗に干渉していたか、そして和霊事件が起こり、どのように二人が仲を修復していったか、を手紙の記述から解き明かしてくださっていて、素人にも非常にわかりやすかったことと、二人の問題の現代的な感じというか、今の人間であっても共感できる事件・関係であったことを説明していただけて、面白かったなあ…と思いました。
最後に、秀宗のパーソナルキャラクターの証明として、あまりはっきりと自分の感情を表に出せないタイプの人だったんではないかという話と、それとはまた別に、歌に添えた絵の横に書いた「無限の笑いぐさに候」の言葉に微笑ましさを感じてしまいました。
橋とかりがねの歌の横に、橋とかりがねらしきものが描かれているのですが、それが絵というのもはばかられるような落書き(笑)で、その横に「これはずっと笑いぐさになるだろう」と自分の絵のことを評していて、そのユーモアと絵の下手さかげん(笑)に親しみを感じました。
この絵は図録にも載っていなくて、スライドで見せられただけなのですが、もうこの絵がすべてを持っていきました(笑)。上手い下手っていうか…日常的に絵を描く人の絵ではなく…(笑)。どういったらいいか…(笑)。

その後しばらく仙台の町を放浪して、こんなのも撮ったり。
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延宝あたりから幕末までの片倉家屋敷。まあ年代的に重綱・景長あたりは前の屋敷(ヤ○セのところの…)かと思うので、私のダイレクト萌えではないのですが(安房屋敷は元のところにあります)。

そして最終日は亘理だよ!

某Tさまとご一緒させて頂き、仙台から亘理へ電車でGO!
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そこから海を目指し、亘理鳥の海で、限定200食というはらこ飯を食べた!非常に美味しかった!
復活した日帰り風呂にも入りました!ぬるっとしたナトリウムの風呂で非常に肌に良さそう。しかしここ…海辺の堤防にいる人がよく見えると言うことは…向こうからも丸見えなんでは…(笑)。
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亘理の海です。合掌。
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ふらっと通りがかったモールにて。
某さんの武者祭り成実ポスターがいつのまにか山車になっており、北海道伊達市から亘理町に寄贈されていました…(他の三面も武者祭りに応募した人の絵)。
亘理鳥の海のそばのにぎわい回廊に設置されていました。
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いつものところシリーズその一。大雄寺。何回目かもう忘れました。
御霊屋は、枠の隙間から撮っただけで中にはいったわけではないです(扉が開くのは正月・8月の16日の開帳の時のみ)。
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宗実が好きだった称名寺。
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称名寺のシイノキ(小)。この木が。
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荘厳院(宗実母・阿茶の局・果学尼)の墓と、彦兵衛(柴田常氏・宗実従弟)の墓を守るように立っているのが、本当にステキで…。宗実が植えたかどうかはわかりませんが、それくらいの樹齢だそうです…。
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これはシイノキ(大)。これは創建当時からあると推測されているそうです。でかすぎてなんか宿っていそうな迫力の木。先日の紀行番組でも言われていましたが、シイノキは宮城には自生しないらしく、どこかから(種子か苗かは知りませんが)持ってきたのは確実なのだそうです。
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いつもの場所その2。旧舘公園こと、旧亘理要害跡、成実が武早智雄命として祀られている、亘理神社です。
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ヨーク二ノ丸…いえいえヨークベニマルの横にあった小十郎と成実の桶は未だ復活ならずでした。
これ今後どうなるのか御存知の方いらっしゃったらお教えください…。桶じゃなくて普通の看板でいいから、同じ内容の展示を置いてほしいのですが…(泣)。
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いつものとこその3、悠里館(図書館/資料館/視聴覚ホール/亘理山元商工会)内郷土資料館は、ちょっと内容が変わっていて、北海道移住の話などが追加されてました。あと北海道から提供されたという大正時代の御霊屋の様子の写真とかありまして、ちょっとびっくりしました。学芸員さんに聞いたところによると、かつては成実御霊屋(昔の赤くない方)に拝殿がついていて、木がもっとしげっていたらしいのです。御霊屋背後の現在岩城御前の墓があるといわれているところの木は、平成の修理のときに伐採したらしいということも聞けました。
あと震災後発見されたという、襖の裏紙から出てきた史料の展示なども新しくありました。
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亘理駅まで徒歩でぶらぶらしているときに見つけた成実?らしき絵。ちょっとおじいちゃんなのがいいですね。
何度来ても新しい発見があるし、感慨をおぼえるので、また来ようと思いました。
一刻も早い被災地の復興をお祈り致します。
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亘理悠里館より亘理の町を眺めて。亘理要害はそばにあるヨークベニマルの看板を見ると見つけやすいです。
指写ってる…あほです。

*1:【追記】こんなページありました 涌谷町/涌谷亘理・伊達家の歴史めぐり

*2:私事ですが、メキシコ在住時、クエルナバカとメキシコシティに一時期住んでおりました。タスコとアカプルコにも行ったことある…。支倉常長の像は見たことないんですが…orz