[sd-script]

伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

『政宗記』6-1:政宗落馬附片平忠節

『政宗記』6-1:政宗の落馬と片平親綱の内応

原文

去程に、天正十七年己丑の正月、政宗二十三の時、落馬し玉ひ足を打折給へり。然ども療治を以て平愈為すと雖も、未痛み玉ひて馬を出される事相叶わず。是に付て、片平助右衛門申合の手切も相延ける也。同月助右衛門、成実処へ飛脚を遣し、対面の上申度事有と云。其旨政宗へ片倉景綱を以て窺ひければ、事の子細を承れと宣ふ。故に安積の堀の内と云処へ出合けるに、助右衛門会候て「申度事別義に非ず、去年兄の備前御家へ降参の以来、会津に於て某に疑心をなす故に、人質を渡しけれども、大内御奉公の上は、尚も野心を挿み末の身命大事なり、右御忠節を申合し刻は、雪深ふして政宗公御出馬も相叶はず、扨其以来は御落馬なれば、手切の事も相延ける内、佐竹・会津より伊達へ向て手切をせよと宣ひけるにも此方への手切程延ける故、此返答をも致すべき様更になし、然るに、其内佐竹・会津へ内通忠節の術も有かと、伊達に於て御疑心、表裏も有事ならば、某日頃の存入皆相違に成事、迷惑の儘御辺へ参会、此品々を申なば、偽事も有まじきため此の如く」と申す。其義政宗へ申ければ、「奇特なる申分なり、手切をなすと即ちより安積表へ出られぬときは、四方への聞へも如何なれば、痛平癒の上一左右次第に、手切をせよ」と宣ふ。其旨重ねて助右衛門処へ申遣し候事。

語句・地名など

堀の内(ほりのうち):郡山市喜久田堀之内
迷惑(めいわく):迷うこと/困ること
奇特(きとく):素晴らしい。褒めるに足りる/珍しい
一左右(いっそう):一度のたより

現代語訳

その頃、天正17年の正月、政宗が23歳のとき、落馬なさり、足を骨折なさった。治療を行い、治ったのだが、いまだ痛みがあり、兵を出すことができなかった。このため、片平助右衛門親綱が申し合わせた寝返りも合わせて延期となった。
この月、助右衛門親綱は成実のところへ飛脚を遣わし、会って話したいことがあるといった。その旨を政宗に片倉景綱を介して伝え、伺ったところ、詳しいことを聞いてこいと仰った。
そのため安積の堀之内というところに行くと、親綱が来て、「もうしあげたいことは他でもない、去年兄の大内備前定綱が伊達の家へ降参して以来、会津において、私に疑いを持たれているため、人質を渡したのだが、大内定綱が伊達に奉公しているということは、私も反逆の野心があると思われ、私の命が危険であります。私があなた方への寝返りを約束したときは、雪が深いころであったため政宗公の出陣が叶わず、そのあとは落馬のため寝返りのことも延期になったあいだ、佐竹や会津から伊達に対して戦闘を行えといわれても、こちらへの手切れが延期になったため、このお返事もどうやりようもありません。そのため、そのうち、佐竹会津へ内通し従うこともあるかと、伊達の方々に疑われ、表と裏で違う態度をされるようなことがあるならば、私の日頃の考えが全て間違ったことになり、大変なことになっています。その状態で貴方とお会いし、この詳細を申しますなら、このように偽りもあるはずがありません」と言った。
このことを政宗へ言ったところ、「すばらしい言い分である。手切れをすると同時に、安積方面へ出られないときは、周りへの聞こえもよくないだろうから、痛みが治ったという知らせに従い、手切れをせよ」と仰った。
そのことを親綱のところへ使いを送り、伝えました。

感想

天正17年。政宗が落馬して骨折(昭和の発掘調査の結果、左足の脛の骨が折れており、この記述が事実だったことが判明したそうです(笑))したため、未だ寝返っていなかった大内兄弟の弟、片平助右衛門親綱が大変困った(笑…いや笑い事じゃないんですけれども)という話。
佐竹・会津から伊達への寝返りを疑われ、伊達からは内通自体偽りではないかと疑われる羽目になった親綱大変です。
大内兄弟の内応に関しては成実が窓口になっていたことがよく分かります(成実→小十郎→政宗というライン)。