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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

『政宗記』6-11:猪苗代弾正望附新国上総降参事

『政宗記』6-11:猪苗代弾正盛国の望みと新国上総の降参

原文

去ば知行判之割、右にも申す弾正忠節の始より、望の勧賞一紙に書立差上けるは、
一 会津御手に入程ならば、北方半分を下置るべき事。
一 猪苗代を持兼、伊達へ引除候はば、三百貫の所、堪忍分を下置るべき事。
一 我等より以後、御忠節の者有と云ども、昔より会津に於いて引付如、座上に差置れ、下さるべき事。
  但し、御譜代衆には構わぬ事。
右の三ケ条望ける書立をば、政宗手前に差置給ひ、扨判形には「望の通、聊相違有るべからず、若又伊達へ引除なば、領中柴田に於いて三百貫所領堪忍分に充行べき者也」と、書れける書付をば弾正手前に持故に、知行判の砌御約束の通り、北方半分下されけるやうにと、成実を以て申しけるは、「北方に弾正知行は何程有り、扨何と云郷なり」と尋ね給ふ。弾正「北方に某知行をいかで持候べき、御忠節の始めより、御約束なり」と申す、政宗「只北方分と計り有て、半の字はなき故に、尋ね候」と宣ふ。そこにて「恥入たる申事には候へども、譜代の主君を背き逆意を企候も、一度は立身の為なり、元より北方に所領を持、夫を書立差上なば、居城の猪苗代をも書副候はんや、旁迷惑なる仰せかな」と申す。其上弾正筆者に薄源兵衛と云ける者、其一紙を書けると彼者「半の字なくば、已に生害に及ばん」と云。其にて彼書付を出されければ、案の如く半の字落て、北方分と計りなり。其とき弾正驚入、「重代の主君を背き、天命尽果是非なき事也、此上は訴訟申すに及ばず」とて、猪苗代へぞ帰りける。然りと云ども、政宗「弾正忠節故にこそ、切所の会津をば思ひの儘に乗取ける、さらば」と宣ひ、猪苗代近所・北方にて、五百貫の加増を賜はる。同家老猪苗代阿波・石部下総、今度武略の取次したる勧賞に、五十貫づつ賜はる也。扨右よりの使、三蔵軒にも二十貫文賜はりけり。而して後新国上総、義広方にて政宗へは背きけれども、鉾には叶はずして会津へ参り、降人と成故、本領を賜はりける事。

  寛永十三年丙子六月吉日          伊達安房成実

語句・地名など

柴田:宮城県柴田郡

現代語訳

さて知行割りに関して、前述した猪苗代弾正盛国の寝返りの初めから、望みの報償を一枚の紙に書きあげ、政宗に提出してあった。その内容は、
1、会津が手に入るならば、北方の半分をくださいますこと。
2、猪苗代を領有し続けられず、伊達へ退くこととなったら、三百貫の知行をくださいますこと。
3、私たちよりあとに、伊達に忠節を誓う者が現れましても、昔から会津にいても連絡していたとおり、私たちをそれらより上座に置きくださいますよう。ただし、伊達の御譜代衆での中の序列には関係ないこと。
この三ヶ条を望んだ書状を政宗の手元におき、政宗が送った書状には、「ノボ美濃通り、少しも違いがあってはいけない。もしまた伊達へ退かなければならなかったときは、領内の柴田において三百貫文を知行の堪忍分に充てるべきもの」と書かれた書き付けを猪苗代盛国が持っていたため、知行割りはこのときなさったお約束の通り、北方の半分を下されるようであると成実を介しておっしゃったのだが、「北方に弾正の知行はどれほどあり、何と云う郷であるか」とお尋ねになった。弾正は「北方に私の領地をどうしても持ちたく思います。それは寝返りしました初めからのお約束であります」と言った。
政宗は「ただ北方分とばかりあって、『半』の字はなかったので聞いたのである」と仰った。すると「恥ずかしいことではありますが、代々仕えた主人に背き、寝返りを企んだ私たちでありますが、これは立身のためであります。もともと北方に所領を持ち、それを書き記してさしあげたなら、居城の猪苗代おもお書き添えになったのでしょうか。いろいろと酷い仰りようでございます」と言った。そのうえ、弾正の書状を書き付ける者の中に、薄源兵衛という者がおり、その書状をかくとき「半の字がなくては、ころされるのではないでしょうか」と言った。そのため、この書き付けをだされたところ、考えのとおり半の字を落とし、北方分だけと書いたのであった。
弾正はひどく驚き、「代々仕えた主に背き、天命尽くつきはて、仕方のない事でございます。これ以上は訴えをすることはやめます」と言って、猪苗代へと帰った。
しかし、政宗は「弾正の寝返りがあったからこそ、大変手に入れにくい会津を思うとおりに入手することができたのである。それならば」とおっしゃり、猪苗代の近く、北方で500貫の加増をなさった。
同じく家老の猪苗代阿波・石部下総の今回の戦の取次をした褒美に、50貫ずつ賜った。またその使いをした三蔵軒にも20貫文をお与えになった。その後義広についていて、政宗には背いていた新国上総貞通も、戦で叶わず会津へ参上し、降参し、本領を安堵された。

感想

今度は寝返りをして多いに伊達勢を助けた、猪苗代盛国への知行についての記事です。面白いのは、「もし自分たちより後に臣従するものがいたとしても、自分たちを上座にしてください」という盛国の願いです。
裏切って新たに忠節を誓うにしても、早く、そして役に立った自分たちを一番引き立てて欲しいという望み、忠節にも誇りがあったのでしょう。