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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』2:二本松との境の状況

2:二本松との境の状況

原文

一 二本松境八町目に私親実元隠居申され候。二本松の義継より節々使を預御念頃候。会津・佐竹へ御一味候へども、元来二本松・四本松は何方へも弓矢強方へたのみ身を持たれ候う。此度も伊達募候はば、実元をたのみ伊達へ御奉公仕申すべき由義継思召。御念頃に候故、境目しづかに候。我等は八日に大森を立ち、九日に檜原御陣場へ参候へども、二本松境如何候哉と御たずね候。先以しずかに御座候。義継も大事に思召候哉。打絶せず実元処へ遊佐下総と申者を実元久敷知意の由にて使に預。又飛脚も遣わされ候。彼境は御意次第に手切仕るべき由申上候へば、御前の人を相除かれ会津への手切の段、左馬助合戦に負候様子仰聞かれ、会津一味の衆之無く、何方も大難所に候間、なられるべき様なく候て、御人数相返候。定めて昨日人数に会申べき由御意に候間、我等申上候は、猪苗代弾正をこしらへ見申すべき候哉と申上候へば、手筋も候哉と御意に候う。羽田右馬助と申我等家中。猪苗代家老石部下総と申者二筋御座候而別而念比に候う。此度右馬助召連参候由申上候へば、則右馬助御前に召出され、猪苗代に其身好身のものの由聞召され候間、状をつかひ申すべき由、仰付られ、御前にて書申候。片倉小十郎・七宮伯耆、我等状をも差添申すべき由御意候間、いずれも状を書申候う。此状ども猪苗代へ三十里候間、此地より遣わされるべく候う。返事は大森へ差越されるべく候間、早々罷帰らるべき由御意候う。今日は人馬草伏日もつまり申候間、明日罷帰度由申上候へば、二本松境御心許無く思し召され候間、一剋もいそぎ罷り帰るべく候。今夜の宿は総木民部少に仰せ付けられ、早先に遣はされ候間、早々罷り帰るべき由御意に候間、檜原を日帰に仕罷帰候。七宮伯耆は久敷会津牢人にて、御相伴仕る衆に候。会津衆いづれも存ぜられ候間、状を差添えられ候う。四五日過候て嶺式部少・七宮伯耆、大森へ差越され候。猪苗代よりの返状ども御覚*1成られ候へば、合点に候。御大慶なられ候う。その口よりいよいよ申合べく候う。両人衆をなし遣はされる由御意に候。人も存ぜぬ処に宿を申付指置、本猪苗代より罷出候三蔵軒と申出家をたよりに土湯を通り、猪苗代へ越申候て、政宗公へ御一味あるべきの由大慶申候。のぞみの儀も候はば、具に承るべく候。政宗判形をととのへ進むべき候う由申遣候へば、弾正申越され候はば、我等御奉公にて会津御手に入候はば、北方半分知行と*2らるべき事。

語句・地名など

現代語訳

二本松との境、八丁目に私の父である実元が隠居しておりました。二本松の畠山義継から季節毎に使いをもらい、仲良くしておりました。会津・佐竹へ頼っていましたが、元々二本松と塩松はいずれへも戦の強いところへ頼り、身代を保っているところでした。
今回も伊達が軍を集めていたところ、実元を頼りに伊達へ奉公したいとの事を思い、仲良くしていたので、境界は平穏でありました。
私は8日に大森を発ち、9日に檜原の陣場に参上したのですが、政宗は二本松との境はどうかとお聞きになりました。いまもまだ平穏でございます、義継もおおごとにおもっているのでしょうか。引き続き、実元のところへ遊佐下総という、実元が長年知っている者を使いに送ってきていました。また飛脚も送ってきていました。この境は政宗の考え次第で手切するかどうか決めるべきであるということを申し上げたところ、人払いをなされ、会津への手切れのとき、原田左馬助が敗戦した様子を仰り、会津に味方する衆はいなくとも、いずれも難しいところであるので、するべきことができず、軍勢をお返しになった。軍勢をもっと集めるべきであったとお思いになった。
私が「猪苗代弾正盛国を策略してはどうか」と申し上げると、「たのみになりそうなものはあるか」と仰った。
羽田右馬介実景という、私の家臣の者と、猪苗代盛国の家老石部下総という者、二人がおり
とても親しくしていた。羽田右馬介をつれてきたことを申し上げると、すぐに右馬介を面前に呼び出され、猪苗代によしみを通じている者の話をお聞きになり、書状を遣わしになるようご命令になったので、面前で書き上げた。片倉小十郎景綱・七宮伯耆と私の添え状を付けるようおっしゃったので、それぞれ書をしたためた。
この書状を猪苗代へ30里あまりあるので、ここから送るよう仰せになった。
今日は人も馬もくたびれ、日も遅くなったので、明日帰りたいと言ったところ、二本松との境界が心配であるので、一刻も早く帰るように、今日の宿は総木民部に命令し、先に知らせてあるので、すぐにもどるようにと仰ったので、檜原を日帰りし、帰った。七宮伯耆は長く会津で牢人していたが、相伴衆に入ったものである。
会津衆はいずれも知っているので、書状を携え、行った。
4,5日過ぎて、嶺式部少・七宮伯耆が大森へ遣わされてきた。猪苗代からの返事の書状を御覧になって、合意に至った。大変お喜びになった。その口からようやく約定を交わすよう言われた。
どちらからも人を集めおつかわしになることになった
人も知らぬ所に宿を申し付けて作り、むかし猪苗代より来た三蔵軒という僧侶を頼りに土湯をとおり、猪苗代へとおり、政宗へ内応しましょうという申し出を聞き、大変お喜びなさった。望みの所領のこともあるので、詳しく聞きました。
政宗は書状を調え、行くように命令したところ、弾正は、私の奉公で会津が手に入るのならば、北の半分を知行をしてくださるようお願いしますと言ってきたのである。

*1:覧か

*2:下か