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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

『伊達日記』4:猪苗代盛国の内応の結果

4:猪苗代盛国の内応の結果

原文

一 御弓矢思召の如く之無く猪苗代を引除候はば、伊達の内三百貫の堪忍分下さるるべき事。
右三ヶ條の外望も之無き由申越され候に付、書付を以檜原へ申上候はば、政宗公御覚*1成られ、書付の通少も御相違あるまじく候。弾正書出は御手前に置かれ候由印判を相除き遊ばされ候。時分の知行は早々刈田芝田にて三百貫たる所、御書付ならるる御判に差添られ、差越され候。式部・伯耆は御書付我等にわたし、檜原へ罷り帰り候。三蔵軒に御判を持たされ、猪苗代へつかはし候処に、二三日過罷帰御判形相渡申候。去りながら、子息盛胤是非会津へ御奉公仕るべき由申す間、是を如何様にも催促申候て手切れ仕るべき由申し越され候。一両日過、又三蔵軒を越。早々事切申され候様にと申候へば、盛胤合点申されず。家中二つにわかり六づかしく成候よし申候て手切罷り成らず候付て、会津御弓矢罷り成らず。檜原に新地を御つき、後藤孫兵衛を差置き候ひて、御入馬なされ候。

語句・地名など

現代語訳

戦が思い通りに行かず、猪苗代から退くことになったら、伊達の領土から300貫文の禄を下さいますこと。
この三か条の他のみ望むことを言ってきたので、書き付けを持って檜原へ伝えたところ、政宗は御覧になられて、書き付けの通り、相違ないということになった。
弾正のかいた書状は政宗の手元に置かれ、印判を除かれなさった。そのときの知行は早々と刈田・芝田にて300貫文であるところ、お書き付けなさった印判に添え、お送り成された。式部・伯耆は書き付けを私に渡して、檜原へ帰ったのです。三蔵軒に印判をお渡しになり、猪苗代へ遣わしたところ、2,3日過ぎして帰り、調えた書状を渡したのである。
しかしながら、猪苗代盛国の子、盛胤は会津へ奉公するべきであると言うので、これをどうやって説得して手切れするかということを言ってきたのです。数日が過ぎ、また三蔵軒を遣わし、早く手切れをするようにと言ったところ、盛胤は合意せず、家中は二つにわかれ、手切れも難しくなると言うことを行ってきて、手切れは成らなかったため、会津への戦も叶わなかった。
檜原に新地砦を作られ、後藤孫兵衛をおかれて、入城なさったのです。

*1:覧か