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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』8:二本松境について

8:二本松境について

原文

一 二本松境へは今は御手切も御座なく候。実元分別には、会津仙道より四本松へ助候諸勢。田村は敵にて二本松領中打通申候。義継へ会津以下の衆疑心申され候様にと存ぜられ境をしずめ、跡々の如く、二本松よりも入魂の体候。其存分政宗公へは申上られ候へども、若輩故聞為、申されず候。此境事切候はば、弥以強成られ候間、申上事切無用の由我等に両度迄誓紙を致し為す。二本松境無事に仕られ候。

語句・地名など

現代語訳

一、二本松の境目は、今は手切れもありませんでした。実元が治めているあいだは、会津・仙道から塩松へ援軍があり、田村は敵であったので、二本松領内を通っていました。二本松の畠山義継へ会津の衆が疑心をお持ちになったようであると思い、境目をしずめ、前のように、二本松からも親しくしておりました。
そのことを政宗へも申し上げられたのですが、私には若輩のため伝えられておりませんでした。
この境界で戦が起こるならば、手強いことになるだろうから、事切れはするべきではないという事を私に二度も誓紙を出させた。こうして二本松境は無事であった。

感想

ここは同じ内容のものが『政宗記』2-1にもあります。政宗と実元が成実に知らせず連絡をとっていたこと、手切れをするべきではないということについて実元・成実の親子間で誓紙を二度も出させていたことなど、少し意外なことがわかります。