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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』13:小浜自焼

13:小浜自焼

原文

一 小浜にて助勢共、岩津野を取られ候は、引除候事成間敷由相談申さる。会津衆備前へ申され候は、今日政宗公岩津野を召廻し御覧候ば彼城を御取在るべき由思召され候と見え申候。彼城を取申され候はば、何も引除候事成間敷候間、今夜引除然るべく候。会津にて松本図書跡明申候間、彼地を下され会津の宿老に成られ候様に申上べく候間、罷除かれ、尤の由異見申され候。中目式部太輔・平田尾張を以頻に催促申され候間、大内備前も通路を大事に存ぜられ、抱の城の小浜迄残らず其夜二本松へ引除候間、四本松の分は御手に入申候。

語句・地名など

岩津野:岩角

現代語訳

一、小浜に於いて加勢の者たちは岩角をとられたなら退くことはならないということを話し合った。会津衆は備前定綱に「今日政宗が岩角を乗り回し御覧になったならば、彼の城を取るべきことを思われると思う」と言った。
彼の城を取るならば、だれも退却することは出来なくなるだろうから、今夜退却するべきである。
会津に於いて松田図書がその後顕紙して申し上げたのは、この地をくだされ会津の宿老になったように申し上げた。退出し、もっともである意見を言った。中目式部・平尾尾張を介してしきりに催促したので、大内備前を通路が通れなくなるのを大事に思い、支配化においていた小浜の城まで、残らずその夜二本松へ退いたので、塩松の領地はすべて政宗のものとなったのです。