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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』16:戦と降雪

16:戦と降雪

原文

一 十月十五日二本松へ御働候へども内よりも出ず候。即打上られ、川を越、高田へ惣人数引上、上野陣を相懸候。明日の御評議承べきと存我等も高田へ参候。拙者陣場はいをふ田□□申候て、二本松より北にて高田より各別の所に候。其は八丁目我等抱に付指置られ候。我等人数北へ上候付城より罷出合戦仕候。双方多打死。高田よりも助合戦付敵を遠やらい迄押入物別仕候。夜半時分より大風吹明方より大雪降。十六日十七日十八日昼夜ともに降候故、馬足叶わず御働も成らず、廿一日に小浜へ御引込、年内は御軍相止られるる由にて、境々の衆残らず相返され候。

語句・地名など

いをふ田:伊保田(安達郡安達村の中、油王田・硫黄田か)

現代語訳

一、10月15日、二本松へ攻めかけたが、内からだれも出てこなかった。すぐに打ち上げ、川を越え、高田へすべての手勢を引き上げなさり、陣を引かれた。
明日の評定を聞こうと思い、私も高田へ行きました。私の陣場は伊保田というところで、二本松から北にあり、高田よりは離れていた。
それは八丁目が私の抱えになっていたからです。私の手勢を北へ上げたところ、城から軍勢が出てきて、戦となりました。双方多くが討ち死にしました。高田より援軍が来て、敵を遠矢来まで押し入れ、物別れになった。
夜になって、大風が吹き、明け方から大雪が降った。16日17日18日昼夜ともに雪が降ったので、馬が歩くこともできず、戦闘もできないため、21日に小浜へ退き、年内は戦をやめられるということで、境の者たちはそれぞれ在所に戻ったのです。