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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』17:二本松籠城

17:二本松籠城

原文

一 会津抱の高玉阿子島より深山づたひに二本松へ通路仕候に付、城成とも成られ度思召され候へども、義広、義重、常隆出馬の御気遣にて成られぬ由候上、髙山にて通路に人数も候へども通らず候。人数之なきに付ては□見切通候間、米以下絶成らぬに依、翌年七月まで相抱候。

語句・地名など

現代語訳

一、会津の支城である高玉城・阿久ケ島から深山を伝って二本松へ通るので、城を抑えようと思われたのだが、芦名義広・佐竹義重・岩城常隆が出馬してくるかという心配で、できなかった。高い山であるので、通路に人を使わすこともできなかった。人がいなくては敵からよく見えるので、米も通すことができなかったので、翌年7月までは堅く籠城していたのです。