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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』26:氏家弾正の内応

26:氏家弾正の内応

原文

氏家弾正所存には、扨々移ればかはる世中にて刑部少一党伊達を賴入義隆へ逆意を存立砌は、私一人御奉公を存名生の御城籠城なさるべく候間、岩出山を引移御切腹之御供仕るべき由存詰候処に、案の外義隆我等を御退治ならるるべき御企是非に及ばず候。此上は我等伊達を頼入義隆退治申命をまぬがれ度存候て、弾正家中片倉河内守、真山式部少と申ものを申付米沢へ相登りなされ片倉小十郎を以て政宗公へ申上候子細は、新田刑部少身類の者共義隆へ逆心仕、米沢へ頼入べき由申上候処に、不慮に刑部少輔義隆を生捕、伊達御奉公を返約仕義隆を取り立て申すべき所存に付、某滅亡体に及ぶべくに候條政宗公御助勢を下され候はば、大崎を容易取上可申由申上候に付、小十郎其由披露申られ候処に、政宗公年来義隆へ御恨と云刑部少一党御奉公違返口惜思召され、氏家弾正を引立べき由仰出され候。弾正使河内、式部に小十郎御意の通を申きかせられ候。両人喜急岩出山へ罷下、弾正に御諚之通為申聞候へば、尋常ならず喜入申され候。

語句・地名など

現代語訳

氏家弾正吉継は、「そもそも移ろい変化する世の中であり、新田刑部少輔の一党が伊達へ頼み義隆へ裏切りの意思を持っていた頃は、私一人が奉公を続け、名生の城で籠城しようと思われるのであれば、岩出山から移り、切腹の御供をしようとまで思い詰めていたところに、予想外に義隆が私を退治なさろうと企むのであれば仕方がない。このうえは私も伊達を頼み、義隆を退治し、生き延びよう」と思い、弾正の家臣、片倉河内守・真山式部少輔という者に命じて米沢へ送り、片倉小十郎を会して詳細を政宗公に申し上げた。近習の新田刑部が親類の者たちと一緒に義隆を裏切り、米沢へ頼り申し上げたところ、予想外に刑部が義隆を生け捕り、伊達への奉公の約束を破り、義隆を盛り立てようとしている。このままでは私は滅亡するだろうから、政宗公のお助けをいただけるのであれば、大崎を簡単に手に入れるようにいたしましょうと申し上げたので、小十郎はそのことを政宗に申し上げた。
政宗公は「日頃義隆には恨みがあった。刑部一党の裏切りに対し、口惜しいと思われ、氏家弾正を引き立てるよう仰った。弾正の使い、片倉河内守、真山式部少輔に小十郎は政宗の言葉を伝えた。二人は喜び、急いで岩出山へ戻り、弾正にお約束のことを伝えたところ、とても喜んだという。

感想

混乱の中、大崎家中で居場所を無くした氏家弾正は伊達へ内応するため、使者を送りました。