27:名生城の様子
原文
— 名生の城は義隆新田へ御越以来明所に成候を、義隆の御台と御子正三郎殿御袋に御東と申御方二人をば人質に名生の城に押置、御守には弾正親三河守、伊場惣八郎を指添差置申候。
語句・地名など
現代語訳
一、名生の城は、義隆が新田へ移ったあと、空所に成っていたが、義隆の正室と子正三郎の母で於東という女性がおり、二人を人質として名生の城に置いた。首尾には弾正の親氏家三河守と伊場惣八郎を添えて置きました。
27:名生城の様子
— 名生の城は義隆新田へ御越以来明所に成候を、義隆の御台と御子正三郎殿御袋に御東と申御方二人をば人質に名生の城に押置、御守には弾正親三河守、伊場惣八郎を指添差置申候。
一、名生の城は、義隆が新田へ移ったあと、空所に成っていたが、義隆の正室と子正三郎の母で於東という女性がおり、二人を人質として名生の城に置いた。首尾には弾正の親氏家三河守と伊場惣八郎を添えて置きました。