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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

『伊達日記』33:伊達政景の交渉

 『『伊達日記』』33:伊達政景の交渉

原文

一伊達上野介先々人数を引付度存ぜられ候へども、日はくれ候。川を越北へそなへ候間、桑折室山より出候はば、除兼ねるべき由存られ、月舟は上野舅に候間、上野所より使者を以申され候うは、爰許引のき度存候間、異義無く御除させ預候へと申され候処に、月舟挨拶には、貴殿一人引除かるるべく候。其外は成まじき由仰られ候。重而上野申され候は、浜田伊豆を始一両輩同備候を相捨、拙者一人争罷除くべく候。とても我等を相とおさるるべければ、彼旁も相通さるる預かるべく候。左様に成まじきにをいては打死相究の由申越され候はば、千の森相模と申者月舟伯父にて候が申候は、上野殿を始として打果弓矢之実否を相付然るべく候。大崎は洞一品に候。政宗公大身にて候間果して月舟の身上相立べきにも之無く候。仕るべき事を控へ滅亡詮なき所に候由しきりに異見申候へども、月舟流石衆聟を打果事いたはしく候。左様に候はば、其許に相備へられ候衆いづれも相除かるるべき由申され候間、いづれも上野同心に松山へ引除られ候故、中新田衆中切候上橋を引かれ候故、思の外新沼へ籠城致され候。

語句・地名など

室山=師山
千ノ森→『政宗記』では八森

現代語訳

伊達上野介政景は軍勢を引き付けたく思っていたけれども、日は暮れ、川を越え北へ備えようと思い、桑折・師山より兵が出てきたならば、退くこともできなくなるだろうと思った。月舟斎は上野介の舅であるので、上野介のところから使者を以て、ここから退きたいと思うので、反対せずに退却させてくださいと言ったところ、月舟斎の返事は、貴方一人退却なさい、その他はそうするわけにはいかないと言った。重ねて上野介は浜田伊豆をはじめ、同輩・同備を捨てて、私一人がどうして退却できるだろうか、我等を通してくださるのであれば、かれらも通してくれないと困る。そうならないのであれば、討ち死にをすると言って寄越したので、千の森(八森)相模という月舟斎の伯父である人が、上野介殿をはじめとして、討ち果たし、戦の勝敗を明らかにするべきだと言った。
大崎は洞の中でも最も位が高い。政宗は大大名であるので、月舟斎の身を立てるにも無理であるだろう。しなくてはいけないことを控えては、滅亡するのは仕方のない事であるということを何度も意見したのだが、月舟斎はさすがに聟を討ち果たすのは心苦しい。そのように思うのならば、伊達の勢をすべて退かせるべきであると言われたので、いずれも上野介と一緒に松山へ退かせたため、中新田衆が切った上橋を落とされたため、予定と違って新沼に籠城した。

感想

伊達上野介政景は留守政景のこと。黒川月舟斎は舅の間柄です。伊達は大大名ですが、位としては大崎の上であるという認識があったことが書かれていて当時の東北を知る上で興味深いです。