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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』56:泉田安芸の帰還

『伊達日記』56:泉田安芸の帰還

原文

一最上とは御弓矢に候へども。相捨られ御対陣成られ候処に。最上より伊達への弓矢成間敷と思召され候哉。政宗公御老母は義顕公御姉にて候。御東の上と申候。義顕公より御内証も候哉。御東の上最上境中山と申す所へ御出。政宗公と御和談の御取扱相済候。之依大崎新沼において諸勢之人質に為し相渡。最上へ引越され候。泉田安芸守を最上より相返され。郡山御対陣の所へ参られ。政宗公則御前へ召出され。御奉公仕苦労申さるる由御意候而御腰物大小。御小袖十。御馬一匹下され。安芸守事之外過分之由申候。

語句・地名など

現代語訳

一、最上とは戦をしていたのだが、対陣していたところに、最上から、伊達への戦はしてはならないと思われたのだろうか。政宗公の母君は義光の姉であり、御東の方という。義光公から秘密の相談でもあったのか、於東の上は、最上との境、中山というところへお出になり、政宗公と和睦の仕切りをなされ、済ませた。これより大崎新沼において人質になっていた者たちを渡し、最上へ連れていかれていた泉田安芸を最上から返され、郡山対陣中の政宗の御前に呼び出され、奉公の苦労をねぎらい、刀と脇差し、小袖10、馬を一匹お与えになった。安芸は非常に過分なことでると言った。

感想

最上にずっと留め置かれていた泉田安芸重光が帰還したことが書かれています。
中山峠にて於東の方こと義姫が仲裁に入り、戦を止めたときのことが書かれています。
ここで、義姫は義光の姉であると書かれていますが、『政宗記』では妹となっております。外の部分でも姉だったり妹だったりします。