『伊達日記』76:四ヶ所の落居
原文
一会津の山の内にいないほう。横田。川口。屋なとり。此所は山中故御手に入れず。然処八月末に原田左馬助御代官に為さしめ会津新参衆長井の御人数を以屋なとりの城責落なで切に仕候間。津川へ除候者も御座候。又御侘言申城出申候処も候間落居申候。津川は大切所にて御働も即時に成らず。左馬助其意候へば。春中の事に成らるるべき由御意候。
語句・地名など
いない:稲井
屋なとり:梁取
現代語訳
会津の山中の稲井・横田・川口・梁取というところは、山の中であるので、まだ手中にいれていなかった。しかし8月末に原田左馬助宗時を代官にし、会津新参衆・長井の軍勢を使って、柳取の城を攻め落とし、撫で切りにした。津川へ逃げた者も居た。また寝返りを申し出、城を出るというものたちも居たので、この4つの城も落ちた。
津川は大変難しいところであったので、戦闘を仕掛けるのもすぐには出来ないと左馬助宗時が言ったところ、春の内にはどうにかしようと仰った。*感想
会津山中の4つの城の落城が書かれています。津川は金上盛備の嫡男盛実が固く守っていたため、原田宗時への下賜は延期されていました。