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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』77:猪苗代弾正の望み

『伊達日記』77:猪苗代弾正の望み

原文

一会津御知行割の砌弾正我等を以申上られ候は。御奉公之砌三ヶ條望申候由。北方半分下され候様にと申上候間。其通仰付られ候様にと申上られ候。政宗公御意には。北方の内に何程。弾正知行申所は何と申候哉と御意候。弾正申上候は。我等知行北方には御座なく候。半分下され候様にと申上候。其御訴訟之由申上られ候。御意には。北方分と候て半の字は之無き由御挨拶に候。弾正申候は。恥入候へども譜代の主人に逆意仕候も身上の為に候。右よりの知行所に候はば猪苗代をも書添申すべき処に。加増の御意迷惑之由申され候。弾正家中薄源兵衛と申者申分には。我等其書付を書申候。半の字之無く候はば切腹仕るべき由堅申候に付。右の書付相出られ候処に。北方分と計御座候を弾正見申され驚入。主人に違候天罪取候。此上は御訴訟申義之無き由申候て猪苗代へ罷り帰らる。政宗公猪苗代御奉公に之無き候はば。会津御手に入間敷由御意成られ。猪苗代近所北方之内五百貫計御加増成られ。家中石部下総。猪苗代阿波守に五十貫計づつ御加増下され。右より使仕候三蔵軒にも拾貫之所下され候。

語句・地名など

現代語訳

会津での知行割のとき、猪苗代弾正が私を介して政宗に申し上げたのは、寝返ったときの3カ条を望むと言うことであった。北の半分を下されますようにと申し上げたので、その通りにしてくださいますようと言った。
政宗は、北方の内に弾正の知行はどれくらいあるのだろうかとお思いになり、お聞きなさった。
猪苗代弾正は「私の知行は北方ではありません。半分下されますようにと申し上げ、その訴えの通りでございます」と言った。
政宗は「北方分と言っても、半の字はないではないか」と仰った。
弾正は「恥ずかしいことではありますが、譜代のあるじに背きましたのは、家名をつなぐためでございます。以上のように知行いただけるのであれば、猪苗代も書きそえたいところですが、加増していただければ困惑なさるでしょうか」と言った。
弾正の家中の薄源兵衛という者が言うには、「私はその書付を書きました。半の字がないのであれば、切腹する」と固く言った。この書付を送ったときに、北方分とだけ書いたのを、弾正は見て驚き、「私はあるじに背く天の罪を犯した。これ以上は訴えることはできない」と言って、猪苗代へ帰った。
政宗は猪苗代弾正の寝返りがなければ、会津は手に入らなかったと仰せられ、猪苗代の近所の北方の500貫ほどを御加増になった。家中の石部下総・猪苗代阿波守に50貫ずつ加増され、使いをした三蔵軒にも10貫を与えた。

感想

摺上合戦のキーパーソン、猪苗代弾正盛国の知行についての一章です。
当時の人の家名・本貫地に対する意識と忠誠についての考えがよく出ていて興味深い一章です。