『伊達日記』82:須賀川の知行割
原文
一須賀川の地は石川大和へ下され候。西方の御奉公衆は与力に相付けられ候。三十日余須賀川に御在馬成られ候。白川。那須。境。関などと申所に新地を御きづき候。番手を御訴訟に付我等人数を越申すべき由仰付られ候間。若松御入馬の砌白川へ人数を指越。我等は二本松へ罷帰候。我等の番替は白石若狭に仰付られ候故。若狭は白川に越年申され候。
語句・地名など
現代語訳
須賀川の地は石川大和昭光へ下された。須賀川からの西方衆も石川大和の与力に付けられた。30日あまり須賀川に逗留なさった。
白川・那須・境・関などという所に新地を築き、番手をしたいと訴えがあったので、私の手勢を連れてくるようにとご命令になったので、会津若松へお入りになられるとき、白川へ手勢を送った。私は二本松へ帰り、私の代理は白石若狭宗実に命じられ、若狭は白川で年を越した。
感想
須賀川落城後の知行割について書かれています。