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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』86:相馬について

『伊達日記』86:相馬について

原文

一相馬は我等親代には弓矢に候へども。無事に罷成懇切に候処に。田村の清顕と申者我等舅に候。相果彼地主御座なく候。田村近所に石川弾正と申者拙者家中にて候。相馬義胤を頼逆意仕候。退治仕る所に。義胤。弾正抱の地へ罷越され。助抱申され候故退治罷成らず。大森と申所へ引込候。其内に田村の家中どもを引付。田村の本丸取申され候処に。我等奉公の者御座候て取様に直に相馬へ引除申され候條。則大森より罷出石川弾正を退治仕候。弾正于今相馬に罷有候由承候。

語句・地名など

現代語訳

「相馬は私の親の代には敵対しておりましたが、今は問題もなく、親しくしていましたが、田村清顕という私の舅が死に、田村の主が居なくなってしまいました。田村の近所に石川弾正という者が私の家中にいたのですが、相馬義胤を頼り、寝返りました。これを退治しようとしたところ、義胤は弾正の土地へ来て、援軍をだされたので、退治することができませんでした。大森というところへ退却したところ、その間に田村の家中の者を味方に付け、田村の本丸を取りました。田村の家中には私に奉公している者が居たので相馬へ退くと聞いたので、すぐに大森から出発して石川弾正を退治しました。弾正は今相馬にいるということを聞いています」

感想

相馬と石川弾正についての答えです。