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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』96:九戸攻め

『伊達日記』96:九戸攻め

原文

一浅野弾正殿。石田治部少殿。登米へ御着候間。政宗も登米へ御出御在陣候処に。上方衆御人数南部へ下候間。政宗も九ノ閉迄御下向。上方衆九ノ閉責落し御のぼり候。政宗公も御八丁目迄弾正殿御同道なされ米沢へ御帰城なり。

語句・地名など

現代語訳

浅野弾正長政、石田治部少輔三成が登米へお着きになったので、政宗も登米へ出られ、在陣しているところに、上方の軍勢は南部へくだったので、政宗も九戸まで下向し、上方衆は九戸を攻め落としたあと帰っていった。政宗も八丁目城まで弾正に同道し、米沢へお帰りになられた。

感想

上方勢の軍勢が南部・九戸まで届き、帰っていったことがかかれています。