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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』100:氏郷の疑い

『伊達日記』100:氏郷の疑い

原文

伊勢守引出され候砌。高清水は鳳月此方へ右より申寄られ候間。高清水に御在馬成られ候へども。方々一揆之城々の中にて寒気之砌御働も罷成らず。とかく御手前御あやまりなき旨弾正殿へ仰合さる由思召され高清水へ御出候処に。古川百々より一揆共まかり出候へども。此方よりは一人も出られず候間一戦も之無く御通候。其夜は松山遠藤出羽守御宿申。翌日黒川へ御出。それよりふく嶋へ御移。弾正殿へ原田左馬助。浜田伊豆御使為しめ指遣はされ。私誤なき旨聞召し分けられ。氏郷へも仰遣預かるべき由に候。其身ども御咄に申すべく候は。政宗。飛騨殿へ意趣之有るべき儀に之無く候う。縦飛騨殿を生害させ申とも。天下を敵に致何とて罷成るべく候哉。各様御分別は浜田伯耆申候儀を御承引迷惑仕候由申すべきと仰付けられ候。御意之由申上候へば。氏郷御疑心相晴れず。名生に引こもり御座候而。政宗公飯坂へ御越候而御在馬候。弾正殿より氏郷への飛脚黒川より人数を以をくりを立罷帰候。

語句・地名など

現代語訳

木村伊勢守が救出された頃、高清水は高清水不月斎隆景が以前から頼りにされていたので、高清水に逗留なされたのだが、ほうぼうに一揆勢の城である上に、寒い季節であるので、働きもなかなかままならなかった。とにかく間違いのないようにと浅野弾正へ連絡したいと思われ、高清水へおでになったところ、古川・百々より一揆の者たちが出てきたが、こちらからは1人も出さなかったので、戦もなく、お通りになった。その夜は松山の遠藤出羽守高康のところでお休みになり、翌日黒川へお出になり、そこから福島へお移りになった。弾正へ原田左馬助宗時と浜田伊豆をお使いにして派遣し、誤解の無いようにとお伝えになり、氏郷にもそのことを伝えてくださいと言った。
その者たちが話したことは政宗と蒲生氏郷へ意趣あることに間違いないでしょう。たとえ氏郷を殺したところで、天下を敵にしてどうなることでしょうか。皆様それぞれ分別を以て、須田伯耆の言うことをお聞きになり、大変迷惑だと思っていると仰せになった。以上のことを申し上げたが、氏郷の疑いは晴れず、名生に籠城し続けた。政宗は飯坂へ移り、滞在し、弾正から氏郷の飛脚は黒川から手勢を送り、急いで帰った。

感想

須田伯耆の訴えを受けて、氏郷の疑心は高まります。