『伊達日記』103:上洛の勧め
原文
一上方御念比衆より先々御上洛然るべき由御異見に候。弾正殿へも其通何も仰越られ候に付。御登然るべきよし弾正殿も御異見に候條。御供衆三十騎計仰付られ。米沢御留守居には我等仰付られ沢田豊前指添られ。正月廿一日米沢を御立。深雪故大森へ二日に御出。二本松にて弾正殿へ会御申。御上洛に候。
語句・地名など
現代語訳
上方の親しくしてもらっている方々から、何度も上洛するようにと意見が来ていた。浅野長政の所へもみなそのようにつたわっていたので、上洛するべきであると浅野長政も同意見であったため、御供衆を30騎ほどを連れ、米沢の留守居には私が仰せ付けられ、沢田豊前を付けられ、正月21日米沢を出立なさった。大雪のため大森へ二日に到着し、二本松で浅野長政と会い、上洛なさった。
感想
氏郷との争いがいったん収束したかと思いきやその騒ぎが上方に届いていたようで、政宗は上洛することになります。