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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

『伊達日記』104:上洛と一揆

『伊達日記』104:上洛と一揆

原文

京都に於いて妙覚寺に御宿を仰付られ。太閤様へ御目見へ相済。色々御拝領にて而早々罷下。大崎。葛西一揆退申すべき由仰出され候に付。六月末に御下着成られ御人数仰付られ。七月半過に米沢を御立。白石に五六日御逗留にて御川猟成られ黒川へ御移。七月廿四日大崎へ御働に候。小野田の城主石川長門御奉公申され四竈城主黒川近所に候間城を除。小野田に居申され候も御奉公申され候。宮崎へ御とも申され候。宮崎より罷出候人数を御先手衆追入則城へ取付候処に。岸高城能候間責損。鉄砲を以浜田伊豆を初数多打殺され候。それより近陣なられ竹束を付仕寄を仰付られ候処に。城主より石川長門。四竈尾張を以我等を頼。出城申度由御侘言申され候。政宗公は是非責定候べき由御意成られ候。拙子申上候は。佐沼は伊勢守籠城申され候儀かくれなく候間。彼地を御責然るべく候。宮崎をば御引出御尤之由申上候。内々御同心に思召され候処に。其夜城中に火事出来城を持ほごし落城仕候。落人どもからめ取参候。何れも御成敗成られ候。佐沼へ御取うづみ成られ候。

語句・地名など

竹把(竹束):丸竹を集めて作った盾のようなもの
うずむ(埋む):土の中に入れる、埋もれる/気分が滅入る

現代語訳

京都、妙覚寺に滞在するようにと命令され、太閤秀吉との面会が済んだ。いろいろなものを拝領して、すぐに下向した。大崎・葛西の一揆を退治するようにと仰せられたのである。6月末に米沢へお着きになり、軍勢を集められ、7月半ば過ぎに米沢を出立し、白石に5、6日逗留なされ、川猟を行われ、黒川へお移りになった。7月24日大崎へ戦闘を行い、小野田の小野田の城主石川長門は降参し、四竈城主も黒川の近所であるので、城を退き、小野田にいたので降伏した。宮崎へ御供した。宮崎から出てきた手勢を先手衆が追いかけ、すぐに城へ取り付いたところ、岸が高く城はよい城だったので、攻め損ねた。鉄砲で浜田伊豆をはじめ多くの者が撃ち殺された。それから近くに陣を敷き、竹把をつかって攻めるようご命令なさったところ、城主から石川長門・四竈尾張を介して私を頼み、出城したいと謝罪を言ってきた。政宗は是非とも攻め落とすべきであるとお思いであった。私は「佐沼は伊勢守籠城したことが明しられていますので、彼の地を攻めるべきでしょう。宮崎を出城させるのがいいと思います」と言った。
ひそかにその様に思っておられたところに、その夜城から火事が起こり、城を持ち続けることが出来ず、落城した。落ちてくる者たちを捕まえて、みな死罪にした。佐沼へ取りかかり、気を滅入らせられた。

感想

政宗は上洛し、秀吉との面会を済ませました。そして帰ったあと葛西大崎一揆の解決に取り組みます。