『伊達日記』118:秀吉の帰還
原文
一伏見御城文禄二年より御普請なされ候。名古屋に御在陣の内秀次公聚楽御城に御留守にて候。秀吉公直に伏見御城へ御帰陣成られ候。先天下は秀次へ相渡し分にて候。唐海道駿河訖の大名衆相付られ候迄にて。御仕置抔は秀次公御構成られず候。
語句・地名など
現代語訳
伏見の城は文禄2年から工事をなさっていた。名護屋に在陣のうち、秀次は聚楽のお城に留守居していたので、秀吉は直接伏見のお城へお帰りになられた。まず天下は秀次へ渡されるようであった。東海道から駿河までの大名衆がご命令された。仕置きなどは秀次がすることはなかった。
感想
秀吉が帰朝し、伏見の城の工事を行ったことがかかれています。この話は後に続きます。