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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

2018-01-16から1日間の記事一覧

『政宗記』3-11:黒川月舟死罪逃れらる事

『政宗記』3-11:黒川月舟斎が死罪を逃れたこと 原文 今度大崎との戦に、伊達の勢不手際なるは、黒川月舟逆心の故也。政宗重ねては先、月舟居城の黒川を押倒し、其れより大崎をと思はれけれども、大崎と取組玉へば、跡の如く佐竹・会津・岩城・白川、各本宮…

『政宗記』3-10:永江月鑑死附弾正誓紙

『政宗記』3-10:長江晴清の死と弾正が誓紙を提出したこと 原文 去ば月鑑は、相馬義胤の子舅なり、故に大崎下新田の合戦にも、月鑑人数は玉なしの鉄砲を打。此のこと政宗聞給ひ、居城の深谷は大崎境、況や義胤縁者といひ、亦も逆心危しとて、先秋保摂津守と…

『政宗記』3-9:最上より大崎へ使者の事

『政宗記』3-9:最上から大崎へ使わされた使者のこと 原文 最上義顕より野辺沢能登と云臣下を、大崎の蟻ヶ袋へつかはし給ひ、月鑑に対面して何と語りけるやらん、月鑑をば本の深谷へ相帰し、安芸一人能登同心して、小野田の城代玄蕃・九郎左衛門と云両人に渡…

『政宗記』3-8:月舟訴訟之事

『政宗記』3-8:黒川月舟斎の訴えのこと 原文 去程に伊達の二陣、上野・伊豆を始め、師山の南の畑に控へたりしが、先陣の者ども通り過して引付けんとて、先へ押通らんと進みけれども、切所の橋を引れ通りけること叶はず。あまつさへ桑折・師山両城の敵共、前…