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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

2018-08-03から1日間の記事一覧

『政宗記』4-5:石川弾正草入之事

『政宗記』4-5:石川弾正が草を入れたこと 原文 同四月十二日に石川弾正、若狭領地西といふ処へ草を入、其身も自身しこみに出、内より早朝に出ける者を一両人討て取り、是を城中にて知合、出ける人数と弾正取組城内へ追込、其より取付攻けるに、鉄砲頻りに小…

『政宗記』4-4:大内備前政宗前相済ける事

『政宗記』4-4:大内定綱、政宗との対面をすませたこと 原文 同年三月二十三日に、玉ノ井にての競合相過、成実二本松へかへりければ、右より申し合せの大内備前・片平助右衛門、伊達へ参るべきを待んとて、片倉景綱二本松へ出向ふ。爾る処に四月五日の夜、鍛…

『政宗記』4-3:成実領地草調儀之事

『政宗記』4-3:成実領地での草調儀のこと 原文 されば奥州の軍言ばに、草調儀或は草を入る、或は草に臥、亦草を起す、扨草を捜すと云ふ有。先草調儀とは、我領より他領へ忍びに勢を遣はすこと、是草調儀といへり。扨其勢の多少に依て一の草・ニの草・三の草…

『政宗記』4-2:大内備前手切之事

『政宗記』4-2:大内定綱の手切れのこと 原文 かかりける処に、仙道安積の郡太田・荒井・苗代田とて、二本松より隔りけれども、二本松の領分なり。故に義継生害の一乱にも、三ヶ所の民ども迄、方々逃散しあき地となる。爾して後政宗二本松を手に入給ひ、成実…

『政宗記』4-1:大内伊達へ望之事

『政宗記』4-1:大内定綱伊達への転身を望むこと 原文 天正十五丁亥の年、政宗二十一歳のとき、最上・大崎へは軍なれども、安積表は先何事なく静謐の分なり。かかりける処に、会津より大内備前、成実処へ申しけるは、「四本ノ松一宇打明ける事別に非ず、会津…