2020-06-13から1日間の記事一覧
『正宗公軍記』2-3:下新井田において、小山田筑前が討ち死にしたことと伊達勢敗北のこと 原文 氏家弾正は、伊達の御人数遣さるべき由、御意候へども、今に村押の煙さきも見えず、通路不自由故、何方よりの註進もこれなく、今や今やと相待ち、二月も立ち候間…
『正宗公軍記』2-2:氏家弾正、義隆を恨み、伊達へ言い寄り、援軍を受け、一揆を起こしたこと 原文 氏家弾正所存には、扨々移り替る世の中にて、刑部一党、伊達を賴入り、義隆へ逆心を存立て候砌は、拙者一人御奉公を存じ詰め、名生の御城籠城たるべく候間、…
『正宗公軍記』2-1:大崎義隆の家臣たちが反逆を企て、義隆公を留め置いたこと 原文 天正十四年丙戌、二本松・塩の松御弓箭落居の上、八月、米沢へ御帰陣なされ候所に、大崎義隆御家中、二つに割れ候て、正宗公へ申し寄り候。根本は其頃、大崎義隆に、近習の…
『正宗公軍記』1-5:佐竹・岩城・石川・白川が須賀川へ出陣し、伊達の城を攻めたことと、観音堂での軍で茂庭左月らが討死したこと、成実が手柄をたてたこと 原文 霜月十日の頃、佐竹義重公・会津義広・岩城常隆・石川昭光公・白川義近仰合され、須賀川へ御出…