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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』群書類従版

『伊達日記』126:白石攻め

『伊達日記』126:白石攻め 原文 政宗公は岩出山迄は御下成らせしめられ。北目に御在陣候て七月廿四日白石の城へ御働候。甘糟備後城主に候間若松へ引取られ備後甥北城式部居候朝城外を打廻り。御働引上られ候。八つ時分又城廻りを御覧成られ。別而改普請仕所…

『伊達日記』125:家康の返し

『伊達日記』125:家康の返し 原文 一義顕。政宗。南部信濃以下奥の大名衆。景勝退治のため国々へ御下候。家康小山迄御出馬の所上方にて謀叛起。伏見の城又京極若狭殿御座候大津の城にも籠置かるる由申来候付而家康江戸へ御引返候。 語句・地名など 現代語訳…

『伊達日記』124:関ヶ原前夜

『伊達日記』124:関ヶ原前夜 原文 一家康公。政宗公御入魂の故か。政宗娘を上総殿へ御取合成られ度思召。宗薫を以御内証に候。四人の大名衆聞召され。秀吉公御他界の砌五人の大名衆申合仕置き仕べき由仰置かれ候所。各相談無く縁初の儀覚悟の外由仰られ。宗…

『伊達日記』123:秀吉の死

『伊達日記』123:秀吉の死 原文 一秀吉公御違例に候処。次第に重候故諸大名衆をめされ。御病気つよく候間。御他界も候はば秀頼公にたいし逆意存まじき由誓紙仕るべき由仰出され候に付。熊野牛王に血判いづれも成られ候を。大峯にをさめ申すべき由御意にて。…

『伊達日記』122:秀吉の贈り物

『伊達日記』122:秀吉の贈り物 原文 一御普請場へ日々成せしめられ候。十月始寒時分惣の大名衆へ風をふせぎ候への由にて。長持に紙絹を御入町場を御廻り候て移に下され候。政宗は物ずきを仕候へども紺地の金襴。袖は染物にすりはくの入候を御付。すそは青地…

『伊達日記』121:慶長伏見地震

『伊達日記』121:慶長伏見地震 原文 慶長元年太閤様伏見の向島と申処に御城御構候。御普請過半出来候処に。閏七月十二日夜半時分大地震にて御城の天守御殿共に破損し。御城の内にて男女五十人余打殺され候。向島は宇治川立廻地形下所にて候故。猶以普請衆数…

『伊達日記』120:秀次事件

『伊達日記』120:秀次事件 原文 秀吉公御在陣の内若君様御誕生なされ候。秀次へ聚楽御渡候を内々秀吉公御後悔にもをぼしめし候哉。治部少見届御中を表裏候由見へ候。秀次公山へ綱を御張唐犬をあつめ鹿を御くはせ候而五日十日御山に御座候。御謀叛の御談合の…

『伊達日記』119:蒲生騒動

『伊達日記』119:蒲生騒動 原文 一会津蒲生氏郷殿御遠行候而家老蒲生四郎兵衛。藤三郎殿をとり立申候所。飛騨殿小姓頭に召遣され候和田利八右衛門と四郎兵衛公事を仕披露及ばず候付。秀吉公御意にて和田利八右衛門を切腹仕候。蒲生四郎兵衛は嶋津兵庫頭へ預…

『伊達日記』118:秀吉の帰還

『伊達日記』118:秀吉の帰還 原文 一伏見御城文禄二年より御普請なされ候。名古屋に御在陣の内秀次公聚楽御城に御留守にて候。秀吉公直に伏見御城へ御帰陣成られ候。先天下は秀次へ相渡し分にて候。唐海道駿河訖の大名衆相付られ候迄にて。御仕置抔は秀次公…

『伊達日記』117:食料の不足

『伊達日記』117:食料の不足 原文 一秀吉公八月末名古屋より御帰馬候。筑紫四国西国衆は在陣にて坂東勢は九月十日に帰朝申され候。ふさんかい近所に城を三つ取普請仕るべき由仰出され。いづれも其普請成られ候。高麗は弓矢の成らぬ事之無き候へども。日本の…

『伊達日記』116:赤国合戦

『伊達日記』116:赤国合戦 原文 一筑紫中国四国の大名衆。唐海道。平安道。えそ海道。をらんかい切したがへ。去年は高麗人手と身と計にて逃候間。飯米を取四月迄在陣申候へども。日本より飯米相続かず候故其通名古屋へ申上られ候処に。引除べき由御諚候。縦…

『伊達日記』115:高麗人の出現

『伊達日記』115:高麗人の出現 原文 一陣道具取に夫兵四五十人まいり候処に。高山より高麗人跡の続かずを見切追散五六人討候。その後も薪とり候ものを追散候間。政宗人を差越され地形御見せ候処に。人の一二百程居候而山よりも見えず。深沢へ其夜中に人数二…

『伊達日記』114:渡海

『伊達日記』114:渡海 原文 一翌年の正月浅野弾正殿御子左京大夫へ渡海仰付られ候。政宗も渡海仰付られ候。三月十五日舟にめし候へども日和これなく。二十二日迄名古屋の間に舟がかり。政宗公は陸に御宿なされ。御下衆は舟の内にて日をおくり申候。廿二日追…

『伊達日記』113:名護屋での出来事

『伊達日記』113:名護屋での出来事 原文 一盆に加賀筑前殿御家中前田孫左衛門と申人より政宗公御陣所へをどりを差越され候。其返事成らるるべき由にて何も稽古仕候。廿日の晩相返成らるるべき由にていづれも出立候処に。日暮家康公御陣前にて安部伝八郎と申…

『伊達日記』112:名護屋での喧嘩

『伊達日記』112:名護屋での喧嘩 原文 一六月末の比事の外暑時分家康公御陣所の下に清水候。筑前殿衆其水を汲申され候。多出申さぬ水に候故。家康公衆防の処是非汲申すべき由申からかい候。其聲を承筑前殿御陣所より二人三人宛走寄。尤家康御陣場下に候間人…

『伊達日記』111:高麗への陣立

『伊達日記』111:高麗への陣立 原文 一二月半時分。岐阜中納言殿。浅野左京大夫。羽柴藤五郎。木村常隆。加藤遠江。その外坂東の大名衆。段々に御陣立候。一番加藤筑前。二番家康。三番政宗。四番佐竹右京亮。押道は聚楽御屋敷よりもどり橋を大宮通へ御返候…

『伊達日記』110:岩出山出立

『伊達日記』110:岩出山出立 原文 一高麗入の御支度。萬御道具は京都へ仰上られ候。岩出山御留守居は屋代勘解由兵衛に。御領内中其身任され置度由仰付られ。天正十九年正月九日岩出山御立成られ黒川に御着。七森の鹿御狩成られ年内より名取。国分。宮城。黒…

『伊達日記』109:高麗御陣への準備

『伊達日記』109:高麗御陣への準備 原文 一岩出山。政宗公御在城に相立られ候。御上洛の時分より来年は高麗陣と申ならはし候。政宗公は遠国と云国替弥一揆の跡を下され候由も。其体にては成らせしめられず馬上三十騎。鉄砲百。弓五十張。鑓百。のぼり三十本…

『伊達日記』108:奥羽仕置の完了

『伊達日記』108:奥羽仕置の完了 原文 一関白様は最上へ御下向。家康公は岩出山に御逗留なされ候。佐沼岩出山を御再興候而政宗公へ相渡され候。関白様へ相付られ御人数浅野弾正殿も南部迄御下。奥中平均に仰付られ御登候。政宗公も直に岩出山へ御移候。長井…

『伊達日記』107:一揆終結

『伊達日記』107:一揆終結 原文 一関白様へ二本松にて御目見へ候処に。両使を以大崎。葛西一揆の様子御たづね候。政宗仰られ候は。城々多相抱地下人迄も譜代の者に候間。御退治御六ヶ敷候條。命ばかりは相助られ候様に御訴訟申すべき由申候間。沢谷と申所へ…

『伊達日記』106:関白秀次の下向

『伊達日記』106:関白秀次の下向 原文 一関白様御下向の由聞召され御迎に御上候砌。大崎。葛西一揆の侍共。命の儀は御赦免成られ候様に申され候間。在所に居事いかがに候。沢谷へ罷出然るべき由仰付られ沢谷へ何も召寄られ二本松迄御迎に御上候。 語句・地…

『伊達日記』105:佐沼攻め

『伊達日記』105:佐沼攻め 原文 一佐沼近所の者共のあつまり。町構え西舘相抱候一揆の城共。大崎葛西中に多候間御人数損候も如何思召され。惣構を御覧候而仕寄を所々に仰付られ。竹束を付取寄屏際に付候。政宗公御陣所は西枢輪の西の山に候間。沼候而地形悪…

『伊達日記』104:上洛と一揆

『伊達日記』104:上洛と一揆 原文 京都に於いて妙覚寺に御宿を仰付られ。太閤様へ御目見へ相済。色々御拝領にて而早々罷下。大崎。葛西一揆退申すべき由仰出され候に付。六月末に御下着成られ御人数仰付られ。七月半過に米沢を御立。白石に五六日御逗留にて…

『伊達日記』103:上洛の勧め

『伊達日記』103:上洛の勧め 原文 一上方御念比衆より先々御上洛然るべき由御異見に候。弾正殿へも其通何も仰越られ候に付。御登然るべきよし弾正殿も御異見に候條。御供衆三十騎計仰付られ。米沢御留守居には我等仰付られ沢田豊前指添られ。正月廿一日米沢…

『伊達日記』102:須田伯耆の素性

『伊達日記』102:須田伯耆の素性 原文 一須田伯耆と申者は大浪大膳家中に候。御洞御弓矢之砌大膳逆心仕候所。親伯耆後は道苦と申者大膳に背き直に御奉公に罷成。大膳家中故百番切の奉公並にて御年頭に一度御前へ罷出。御弓矢の時分も指南備に罷有体のものに…

『伊達日記』101:名生での人質

『伊達日記』101:名生での人質 原文 一弾正殿仰られ候は。氏郷引出ず候而仰分も成まじく候條。早々引出御申然るべき由仰せられ候。氏郷より之無く候はば罷出間敷由御理に付て伊達彦九郎を人質に仰付けられ候。我等に罷越候而一戦仕引出申すべき由仰付られ候…

『伊達日記』100:氏郷の疑い

『伊達日記』100:氏郷の疑い 原文 伊勢守引出され候砌。高清水は鳳月此方へ右より申寄られ候間。高清水に御在馬成られ候へども。方々一揆之城々の中にて寒気之砌御働も罷成らず。とかく御手前御あやまりなき旨弾正殿へ仰合さる由思召され高清水へ御出候処に…

『伊達日記』99:須田伯耆の訴え

『伊達日記』99:須田伯耆の訴え 原文 一松森に御在陣之内。政宗御家中須田伯耆と申者。松森へ参て蒲生四郎兵衛を頼み申上候は。政宗一揆に御同心にて氏郷を討果申すべき由存ぜられ候條。御油断成らる間敷由申上候而則御在陣に罷在候に付。氏郷大崎敵地の内…

『伊達日記』98:一揆勃発

『伊達日記』98:一揆勃発 原文 一弾正殿より浅野六右衛門を米沢へ御使につかはされ。大崎。葛西一揆おこり候間。政宗早々御下御退治然るべく候。蒲生氏郷へも其通り申遣候由御ことはりに付四五日御支度成られ浅野六右衛門御同心にて利府へ御出。氏郷御出を…

『伊達日記』97:木村家中の狼藉

『伊達日記』97:木村家中の狼藉 原文 一木村伊勢守。大崎。葛西十二郡拝領に付。上方大名衆の家中ども伊勢守大名に成られ候間。知行を取べき由存暇を乞。亦逃隠伊勢守へ奉公仕候。伊勢守は登米に在城。子息弥市右衛門は古川に在城にて候。大崎。葛西の本大…