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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『名語集』41:武蔵野の歌と不二の歌

41:武蔵野の歌と不二の歌
(*不完全なので、コピペなどはやめといた方が吉です。下線は文章の意味がわからなかったところ。間違いなどご指摘いただけたら幸いです)

原文:
一、されば、詠歌の道に長じ給ひ、花鳥風月の才、いとかしこくわたらせ給ひ、折にふれたる御口ずさみ、なかなか申すもおろかなり。或時仰せられしは、「古歌に、
むさし野は月の入るべき山もなし草よりいでて草にこそ入れ
とある、もっとも武蔵野を、いかほども大きに取りなしたる事は、聞えたれども、月のためにはいかがなり。草より出でて草にこそいれ、月の出入、はるかならず。この心をたよりとして、我が歌に、
いづるより入る山の端はいづくぞと月にとはましむさし野のはら
とよみて、近衛殿へまいらせしに、かぎりなく御ほめ候て、月雪をこととして、花の下に住む歌人、面を蔽ふよし、仰せられ候。また或時、近衛殿へ探題の歌、あまた點取りにつかわされ候へば、大方ならぬ御褒美なされ、御自筆にて近代あるまじきよしにて候。中にも不二の歌に、
いつ見てもはじめてむかふ心かなたびたびかはる不二のけしきは
と読みし歌、およそ類なくおぼしめすと、御褒美斜ならざりし」と御はなしなされ候。

現代語訳:
ところで、政宗は和歌を作るのがうまく、花鳥風月の才能を大変素晴らしくておられるので、季節に応じて歌を詠じることにすぐれていることは、自分ごときが申し上げて言い尽くすことなどできない。あるとき、おっしゃられたのは、
「古い歌に、
武蔵野は月が落ちるような山がなく、草から出て草に入ってしまうけれど
とある。たしかに武蔵野はこれくらい大きく取り扱ったことは、知られているけれども、月のためにはどうだろう。
「草からでて、草に入ってしまうけれど」と「月の出入」はかけ離れている。この歌を参考にして、
出たときから、入る山のはしは何処であろうかと、月に聞くべきだろうか 武蔵野の原の広さよ
と読んで、近衛殿(信尋)にお送りしたら、とても褒めてもらったので、月雪に熱中して、花の下に住む歌人が顔を隠す理由をお教えいただいた。またあるとき、近衛殿へ探題に出した歌で、とてもたくさん点をもらったら、ひととおりでない褒美を頂き、自筆で最近めったにないぐらいだった。中にも、不二の歌で、
いつ会っても初めて会うような気持ちがするように、富士の景色はころころ変わるなあ。
と読んだ歌が、似たような歌がないと思うと格別のお褒めををいただいた」とお話なされました。

メモ:
・むさし野は月の入るべき山もなし草よりいでて草にこそ入れ:『万葉集』より。詠み人しらず。江戸のガイドブックなどに載ったりして、武蔵野の歌として江戸時代にはよく知られていたようです。
・探題(さぐりだい):いくつかの題を出し合って、各人がくじで探りとった題で歌を詠むこと。

感想:
また恣意的なところを取り出しました…。たまたまですよ! 歌の話なので続けて。私は歌が全然わからないので、意味とかだいぶ間違ってると思います…。ご指導ご指摘お願いします。
近衛信尋さんについてはhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E4%BF%A1%E5%B0%8B
政宗との関係については、名前でぐぐって三番目に出てくる記事(しぎのさんとこの記事…)を読めばたぶんわかるよ!(笑) あと氏家幹人『武士道とエロス』にもちらっと載ってます。そこに載ってる史料名出てた気がする。だいぶ年下の公家さんですが、仲良くて、歌の添削してもらってたらしいです。あと他にもいろいろね! 『政宗記』の10も会わせて読むとわかるんじゃないかな!<そっちもいつかは上げます…。
歌の事がさっぱりわからないので、政宗の歌の出来不出来はよーわからんのですが、たしかに政宗の歌をつらつら見てる(読むではなく…)と浮かんでくる情景がとても綺麗な気がします。好き嫌いでいえば好きです。
家康とか秀吉とかから褒められたのって吉野の花見のときでしたっけ。その二人はたしかに歌下手そう。
【追記】近衛さんと政宗の関係について書いてある史料は、新井白石『白石先生紳書』だそうです(未チェック)。