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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『名語集』1:唐土の幼児政宗公の名を聞きて泣止む

1:唐土の幼児政宗公の名を聞きて泣止む(唐の国の幼児、政宗公の名前を聞いて泣き止む)

原文:

一、或時王翼と申す唐人の咄にいふ、「それがし国許ににありし時、ここかしこにて物心つきたる倅などは、たれ教ふるともなく、政宗公と聞きては、物事に恐れをなし申し候。是は、物心つきたる子なれば、恐れ申すも尤もにて候。いまだいとけなき子ども、母のふところに抱かれて泣くを、なにとなぐさめても止む事なき時、母怒って、日の本の政宗公、只今此国へ来るぞ、泣きて取らるるなと制すれば、其の子即ち泣き止み、流るる涙をとどめ、結句、母にとり附き面をかくし恐れ申すは、古今御座なき御事なり」と、感じ奉り、物語申し候。

現代語訳:

ある時、王翼という唐の人の話に、「私が国許にいたとき、いたるところで物心ついた息子は、誰が教えるでもなく、政宗公と聞いたら、恐れをなしておりました。これは物心ついたこであれば、恐れ申し上げるのも尤もであります。まだ幼くて、母のふところに抱かれてなく子を、どんなに慰めても泣き止まないときは、母親が怒って『日本の政宗公が今この国に来るぞ! 泣いて取られるな』と制止すると、子はたちまち泣き止み、流れる涙を止め、結局母親にとりついて顔をかくして恐れ申し上げるのは、古今ないことであります」と言っていたのを、感動し申し上げ、お話申し上げました。

メモ:

王翼:注釈に「皇寬」とある。明の人で、朝鮮の役の際に政宗に見出され、来日・帰化した人らしい(『治家記録』)。易者。その子孫が大野氏とのこと。書をよくしたらしい。

【追記】寛永元年10月5日、刈田嶺噴火の沈下のために、七男宗高を遣わして祭らせたことが貞山公治家記録にあるが、そこにも登場。道教の祭を行ったと推測される。慶安4年1月12日93歳で没した。
唐人(からじん・とうじん):中国人(朝鮮人を含むことも)/外国人。

感想:

政宗の評判を聞いて泣き止む子どもの話。なまはげのような扱いの政宗です。
『名語集』の「我」が王翼からその話聞いて、政宗に言った…でいいんですよね…?