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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『政宗記』10-3:詩歌附狂歌事

『政宗記』10-3:政宗の詩歌と狂歌のこと

原文:

(数字は私が見やすいよう付記したもの、【】は歌題を示すもの(これも付記)原文には綱元や他相伴衆の歌も載っていますが、政宗のもののみ掲載)

1

寛永二年乙丑二月十七日仙台城に於いて詩歌の会、春日江上霞読和歌。

  • 難波江や浪もなきまで霞みつつ かげほのかなる蜑の釣舟
  • 【江上霞】

江上朦朧帯片霞 孤舟漾尽夕陽斜
一声一曲歌昏月 帰去漁翁自到家

【暁郭公】

  • 聞て猶待れ鳧哉郭公 おぼつかなしや夜半の一声

【立春】 政宗

  • 立春の霞の衣薄けれど 昨日には似ぬ世の気色かな

みるからに心ぞちぢにくだけぬる 世にたぐひなき花の名残に

2

同三年四月十八日、武州に於いて江戸の嶺南、政宗を振舞御慰にとて、寺中学僧を集め詩会。
【水辺月】
西風吹後月正新 賓主浮觴猶甚親
此景尤奇見簾外 水辺佳興悩吟身

3

*1八月十五夜、江戸屋敷の二階書院へ、各寄合給ひ月見に、

  • 曇るとも照るともおなじ天の原 今夜の月の名やはかくるる
  • 惜めども秋の最中の月更て 乱るる鳥の声もものうき

4

同四年九月十三夜、仙台城に於いて済家衆各呼給ひ月見に、

  • 晚秋逢月興尤奇 風静雪収愛夜時
  • 朋友対酌三盃酒 清光開席到家遅
  • 【春日作】

朝来信馬出門辰 行路橋辺逢友人
今日風光山景静 寺前佳興百花春

  • 【芳園宴】

一気暖加風景新 不言花亦似留人
浮盃相語賓兼主 終日陪筵芳苑春

  • 【暮春作】

千紅万紫自成塵 今日宴遊逢友人
一夜風吹敲戸雨 前村曝錦落花春

  • 【春日】

惜春竟日興方加 思見千山帯晩霞
吟友相談遊宴席 東風有意寺前花

  • 【暮春】

千紅万紫惣成塵 可惜李桃悩老身
一夜風来催雨牖 半庭敷錦落花春

  • 【深緑】

春尽万山緑正新 寺前延席更無塵
主賓共酌盃中酒 終日吟遊別袖頻

  • 【春月】

春天楽瑟坐東風 朋友対談烟雨中
日暮捲簾見檐外 梅花門戸月朦朧

  • 【涼簾】

千山万水寺樓面 夏日避炎坐瓊筵
窓外吹晴正涼到 珠簾捲月夕陽天

右詩歌の沢山なれども、記すに永し、是よりは其時々にし給ひける詠歌どもをあらはし侍る。

5

或年近衛殿*2へ歌ども、余多読て奉られければ、其内十八首御点にて件のごとし。

  • いかはかり惜ても又惜まれむ 春毎に散花と知ずば

【山花を題に十八首の中】

  • 宮古には移ろひにしを今更に 山の桜ぞ盛りなり鳧
  • 花咲る陰去兼る諸人の 心にかかる春の雁金
  • 曇るとも月に恨はなからまし つらきは雲の隔なり鳧

【五月郭公】

  • 五月雨の夜半も淋しき暁に 鳴郭公友とこそしれ

【池上納涼】

  • 池水のさざ浪よする夕風に 夏も扇を忘れぬる哉

【塩釜より松島へ浦伝ひし給ふに十八首の内】

  • 月は只隈なきをのみ人やみむ 曇る気色も塩釜の浦

【松島にて月さやかなるを】

  • 年たけて年に一夜の月影はいとど雄島の詠なり鳧り

【初秋風】

  • 秋きぬと告渡るかな荻の葉に そよと計りの風の音より

【八月十五夜】

  • 惜めども秋の最中の月更て乱るる鳥の声もものうし

同発句

  • 名そしるき月は雲居の光哉

【久忍恋】

  • 思い余り露と消なん身のうさを文ならずして云よしもがな

【寄糸恋】

  • 繰返し恋しき人を思ふには いとど心の結ぼほれつつ

【寄月恋】

  • ほのみれば夫ともわかで別れにし 入方いづこ三日月の影

【旅宿嵐】

  • 山高し麓の里に旅ねして 嵐の枕夢も結ばず

【社題祝】

  • 君が代を千代万代と祈なり 神も住吉の松にたぐへて

【武蔵野月】

  • 出るより入山の端は何方ぞと 月に問まし武蔵野の原

是へは御点の上御返歌 近衛

  • 中々に問れぬ先は藤衣 問にまされる袖の露哉

6

其昔太閤秀吉公、吉野詣の御時、供奉し読給へる歌、此五首太閤記に載たりと侍る。羽柴侍従のとき、
【花題】

  • おなじくはあかぬ心に任せつつ 散らさで花をみるよしも哉
  • 遠くみし花の梢も匂ふなり 枝に知られぬ風や吹くらむ

【滝上花】

  • 吉野山滝津流れの花散は 井関にかかる浪ぞ立そふ

【神前花】

  • 昔誰孵化器心の根差にて此神垣の花を植けん

【花祝】

  • 君がため吉野の山の槇の葉を 常盤に花の色や添まし

7

元和五年己未、相国秀忠公上洛し給ふ。
其ときの近衛殿天下に隠れ無き美男にて御坐す、故に政宗私なる僻事をも申上、御情の上にも有けるやらむ。或時北野松梅院へ、近衛殿成らせ給ふ。政宗御供なれば、桜が盛なるを詠覧有て、春の夕べといふ題下されけるに、

  • 花や花夫ともあかぬ詠して 永き日影も夕暮の宿

御返歌 近衛

  • 花や花夫ともあかぬ詠とは霞む夕の月にや有らん

亦奉る 政宗

  • 花秋ならぬ露の袂をよの人の いかにと問はばいかが答へむ

都より政宗下られける、御名残に 近衛殿へ

  • 今日出て明日より後の袖の露 ほすことあらじあかぬ別れに

御返歌 近衛

  • あかずして別かるる人の言の葉や又逢迄の形見とはみん

8

同じ在京政宗、公家方へ振舞に御坐て返り給ふに、室町を通り給へば、店に飼ける鶉の押付て、二声ふけりけるを聞、今の鶉は売買物か、尋ね奉れと宣ふ。歩頭の杉田弥次右衛門畏て尋ねけるに、黄金十枚ならば上んとて、乗物の立処へ籠を遣はす。挟箱より硯を呼び狂歌をよめり。

  • 立寄て聞ば鶉の音は高し 欲には人のふけるもの哉

是を短尺にして籠に付、本の主へ返し給ふ。此短尺京童べども披見して、「扨も名誓のことども哉」とて見る聞人、感心しけるとなり。

9

又或年の夏、領中根の白石と云処へ、川猟に出給ふ。時分こそよからめ、人々積の外鮎・鱒とれて機嫌よし。故に乱酒になり、政宗は申すに及ばず、相伴衆・小姓、下々迄も残り無く沈酔中にも大波右京・磯野右近と云、其頃寵愛し給ふ小姓以ての外沈酔して、政宗両の膝を借り奉り、両人の頭を上てぞ臥入りける。二人前髪を同く持添に、二心に連んとて此の如し。

  • 春の朝秋の夕に習ひ来て 月と花とに身を窶すかな

10

在年、又領中秋保と云処へ川猟に出、仮屋へ上り給ふに、浴衣と呼給へば、内馬場縫殿とて所領百貫文賜り、物置所の役なり、折節彼者其日供番に相当り、挟箱とり出し、きせ参らせんとひろげければ、袖に綻たるを見付、無念にて曲事になるは是非なしとて、其旨申ければ狂歌を以て免さん、返歌をせよと宣ひ、

  • 浴衣綻るとも大事なし 内の馬場なる縫にまかせて

返歌

  • 釣針の用意はかねて致しぬれど 御衣を縫べき言の葉もなし

と申たりければ、扨も能出合たりとて、咄と笑ひ軈て其浴衣を縫殿に給はる。

11

ある年、政宗在江戸の時、家来佐々若狭*3出頭の盛に、左太夫*4と云て三十に余る総領死去なり。又作*5といふ二男あれども、左太夫心底人に勝れ親に先立ちければ、若狭愁悲むこと尋常ならず、剰へ籠居の体なり。政宗是を聞給ひ、哀れに覚へ狂歌を詠てたまはりけるこそ忝き、

  • 冬発く梅はさながら散り果て 残れる枝に花や又作

是を若狭持参致し、出仕を遂げ、感涙を以て頂戴して過分がり候。

12

或年の在留に、鹿猟のため遠島へ出給ふ。松島の此方赤沼と云中途の山にて、其日昼弁当をつかひ給ふ。かかりけるに、山岡右京*6と云膳番の者、知行二百貫文賜はり、近所の高城と云在所に居たりけるが、彼赤沼へ酒肴盒など色々持掛、差上ければ狂歌を云へり。

  • 山岡にすへ並べたる酒肴 一つうきうと思ふばかりぞ

13

同其年、済家の長老衆、十余人振舞給ひ、後段の上乱酒に成る。尓るに、長老衆御休息のため、御肩衣を取り給はば、愚僧どもも袈裟を取んと云へり。政宗「智識衆を申請、何事か望を背候ら半、馳走の為にさらば」とて肩衣を脱給へば、各袈裟を取て、面々我寺へぞ返られける。其にて、

  • 和尚達機嫌もよくて寺々へ 袈裟を返せば酒にこそなれ

と詠じ給ふ。長老達是を感じ、此御狂歌を肴に致し、御酒給はらんと嬉さの余りに、以の外なる沈酔なり。

14

尓ば我一代に連ね給ふ、詩歌狂歌際限なし。尓あれども、永ふして記すに及ばず。先是迄留候事。

寛永十九年六月吉辰 伊達安房成実

現代語訳:

1:
寛永2年2月17日、仙台城に於いて詩歌の会、春の日の江上の霞について和歌を詠んだ。
難波江や浪もなきまで霞みつつ かげほのかなる蜑の釣舟
江上霞 政宗
江上朦朧帯片霞 孤舟漾尽夕陽斜
一声一曲歌昏月 帰去漁翁自到家
暁郭公 政宗
聞て猶待れ鳧哉郭公 おぼつかなしや夜半の一声
立春 政宗
立春の霞の衣薄けれど 昨日には似ぬ世の気色かな
みるからに心ぞちぢにくだけぬる 世にたぐひなき花の名残に

2:
寛永3年4月18日、武蔵国、江戸の嶺南地方で、政宗が饗応を受けた際、寺の学僧を集めて詩会を行った。
水辺月 政宗
西風吹後月正新 賓主浮觴猶甚親
此景尤奇見簾外 水辺佳興悩吟身

3:
寛永3年8月十五夜、江戸屋敷の二階書院に、それぞれあつまって月見をしたときの歌。
曇るとも照るともおなじ天の原 今夜の月の名やはかくるる
惜めども秋の最中の月更て 乱るる鳥の声もものうき

4:
寛永4年9月13日夜(十三夜を行った)、仙台城に於いて、禅宗各寺の僧を集めて月見をした際に読んだ歌。
政宗
晚秋逢月興尤奇 風静雪収愛夜時
朋友対酌三盃酒 清光開席到家遅
春日作 政宗
朝来信馬出門辰 行路橋辺逢友人
今日風光山景静 寺前佳興百花春
芳園宴 政宗
一気暖加風景新 不言花亦似留人
浮盃相語賓兼主 終日陪筵芳苑春
暮春作 政宗
千紅万紫自成塵 今日宴遊逢友人
一夜風吹敲戸雨 前村曝錦落花春
春日 政宗
惜春竟日興方加 思見千山帯晩霞
吟友相談遊宴席 東風有意寺前花
暮春 政宗
千紅万紫惣成塵 可惜李桃悩老身
一夜風来催雨牖 半庭敷錦落花春
深緑 政宗
春尽万山緑正新 寺前延席更無塵
主賓共酌盃中酒 終日吟遊別袖頻
春月 政宗
春天楽瑟坐東風 朋友対談烟雨中
日暮捲簾見檐外 梅花門戸月朦朧
涼簾 政宗
千山万水寺樓面 夏日避炎坐瓊筵
窓外吹晴正涼到 珠簾捲月夕陽天

お読みになった詩や歌はたくさんあるのだが、すべて記すと長くなるので、ここからはその時々に読まれた詠歌を書きます。

5:
ある年近衛信尋へ多くの歌を詠んで送りなさっていた。その内18首が褒められた(点をいただいた)。以下の通り。
いかはかり惜ても又惜まれむ 春毎に散花と知ずば
山花を題に十八首の中
宮古には移ろひにしを今更に 山の桜ぞ盛りなり鳧
花咲る陰去兼る諸人の 心にかかる春の雁金
曇るとも月に恨はなからまし つらきは雲の隔なり鳧
五月郭公
五月雨の夜半も淋しき暁に 鳴郭公友とこそしれ
池上納涼
池水のさざ浪よする夕風に 夏も扇を忘れぬる哉
塩釜より松島へ浦伝ひし給ふに十八首の内
月は只隈なきをのみ人やみむ 曇る気色も塩釜の浦
松島にて月さやかなるを
年たけて年に一夜の月影はいとど雄島の詠なり鳧り
初秋風
秋きぬと告渡るかな荻の葉に そよと計りの風の音より
八月十五夜
惜めども秋の最中の月更て乱るる鳥の声もものうし
同発句
名そしるき月は雲居の光哉
久忍恋
思い余り露と消なん身のうさを文ならずして云よしもがな
寄糸恋
繰返し恋しき人を思ふには いとど心の結ぼほれつつ
寄月恋
ほのみれば夫ともわかで別れにし 入方いづこ三日月の影
旅宿嵐
山高し麓の里に旅ねして 嵐の枕夢も結ばず
社題祝
君が代を千代万代と祈なり 神も住吉の松にたぐへて
武蔵野月
出るより入山の端は何方ぞと 月に問まし武蔵野の原
(武蔵野の月に対して)点を付けてお返しの歌を下さった。
中々に問れぬ先は藤衣 問にまされる袖の露哉(近衛)

6:
その昔、太閤秀吉公の吉野の花見の時、付き従って読んだ歌五首が太閤記に載っているという。羽柴侍従と呼ばれていた頃である。
花題
おなじくはあかぬ心に任せつつ 散らさで花をみるよしも哉
遠くみし花の梢も匂ふなり 枝に知られぬ風や吹くらむ
滝上花
吉野山滝津流れの花散は 井関にかかる浪ぞ立そふ
神前花
昔誰孵化器心の根差にて此神垣の花を植けん
花祝
君がため吉野の山の槇の葉を 常盤に花の色や添まし

7:
元和5年、秀忠公が上洛なさった。
そのときの近衛信尋は天下にも有名な美男でいらっしゃった。なので政宗は個人的な不都合なことを申し上げ、親切な心でお答えくださったのであろう。あるとき北野の松梅院へ近衛どのがお成りになった。政宗はお供し、桜が盛りに咲いているのを御覧になって、春の夕べという題を下されたときに読んだ歌。
花や花夫ともあかぬ詠して 永き日影も夕暮の宿
これに信尋は
花や花夫ともあかぬ詠とは霞む夕の月にや有らん
と返し、また政宗が
花秋ならぬ露の袂をよの人の いかにと問はばいかが答へむ
と返した。
京都から政宗が本国に帰る際に、名残として近衛信尋に
今日出て明日より後の袖の露 ほすことあらじあかぬ別れに
と送り、近衛信尋は
あかずして別かるる人の言の葉や又逢迄の形見とはみん
と返した。

8:
同じ時期の、政宗が在京したとき、公家へ饗応に行かれてお帰りになさった際に、室町を通ったので、店で買っている鶉が2回ほど鳴いたのを聞いて、いまの鶉は売り物であるかと聞いてこいと仰った。歩頭の杉田弥次右衛門かしこまった尋ねたところ、黄金十枚であれば差し上げようと政宗の乗り物が待っていたところまで籠を遣わした。挟箱*7から硯をとりだして、狂歌を詠んだ。
立寄て聞ば鶉の音は高し 欲には人のふけるもの哉
これを短尺にして籠に付け、もとの主のところへお返しになった。この短尺を京の人たちは見て、「なんて名誉なことだろうか」と見る人聞く人感心したという。

9:
またある年の夏、領内の根白石というところへ、川猟をしに出かけた。季節がよかったのか、ことのほか鮎や鱒がとれて人々は機嫌がよくなった。
そのため過度に飲み過ぎ、政宗はいうまでもなく、相伴衆・小姓・身分低い者たちも一人残らず酔いつぶれた。その中でも大波右京・磯野右近という、普段寵愛していた小姓の二人が特に泥酔して、政宗の両膝を借り、それぞれ頭を膝にのせて眠りこんでしまった。二人はまだ元服もせず前髪のある年頃だったので、二人とも一列に並べ、次のような歌をお読みになった。
春の朝秋の夕に習ひ来て 月と花とに身を窶すかな

10:
ある年、また領内の秋保というところへ川猟にでかけ、臨時小屋に行かれたときに、浴衣を欲しいとお望みになった。
内馬場縫殿という、100貫文をたまわっていた、物置所の役をしていた者が其の火の当番で、挟箱から浴衣を取り出し、着せようと広げたところ、袖にほころびを見つけ、処分されても仕方ないとその旨を申し上げたところ、「狂歌で許してやろう、返歌をせよ」とおっしゃり、
浴衣綻るとも大事なし 内の馬場なる縫にまかせて
とお読みになった。
内馬場は
釣針の用意はかねて致しぬれど 御衣を縫べき言の葉もなし
と返歌すると、よくできたなとお笑いになって、そのままその浴衣を縫殿に与えた。

11:
ある年、政宗が江戸にいた時、家来の佐々若狭元綱が出仕していた頃に、左太夫という30歳ちょっとの嫡男が死去した。又作という次男はいたのだが、左太夫はとても人より優れたものであったので、親に先だったことを若狭は尋常でなく嘆き哀しみ、引きこもってしまった。
政宗はこれをお聞きになって、可哀想に思って狂歌を詠んでお送りになった。なんと恐れ多いことであろうか。
冬発く梅はさながら散り果て 残れる枝に花や又作
若狭はこれを持参し出仕を遂げ、感涙して自分には過ぎたこととかしこまった。

12:
あるときのご滞在で、鹿猟のため遠島へ行かれた。松島の近くの赤沼という途中の山でその日の昼弁当をお食べになった。すると、山岡右京という、200貫文を賜っていた者が、近くの高城という領地にいた。山岡は赤沼に酒や肴をいろいろと持ち寄り、献上したところ、政宗は狂歌を詠んだ。
山岡にすへ並べたる酒肴 一つうきうと思ふばかりぞ

13:
同じその年、寺の和尚達10数名を集め饗応をなさったときに、ひとしきり終わった後に、無礼講になった。長老衆が楽にするために肩衣をお取りなさると、僧侶達も袈裟を取ろうと言った。
すると政宗は「智識衆を引きうけ、何事か望みをしなさい、もてなしのためにそれでは」といって肩衣をお脱ぎになると、それぞれ袈裟をはずし、それぞれの寺にお帰りになった。それに対して、
和尚達機嫌もよくて寺々へ 袈裟を返せば酒にこそなれ
とお読みになった。長老達はこれに感動し、この狂歌を肴にお酒を飲もうと嬉しさの余りに非常に酔いつぶれた。

14:
一代にお読みになった詩歌・狂歌は際限がない。長くなってしまうので全部記すのは出来なかった。ここら辺で止めておきます。
伊達安房成実

感想:

政宗が作った歌・漢詩・狂歌のリスト。
名語集41*8、木村本107に類似記事あり(木村本の方が多くの歌・エピソードを紹介している)。
原文には他の連歌会参加者のものも掲載されているが、政宗の作品のみ抜粋。
和歌・漢詩・狂歌についてはブログ主が全くわからないので、そのまま掲載します。
近衛信尋へ提出し、採点・添削して貰っていた歌・秀吉主催の吉野の花見で詠い、賛美を受けた歌、近衛信尋と逢った時の歌、鶉に付けた歌、根白石の川猟で寝込んだ小姓を見ながら詠んだ歌、内馬場縫殿の失態を許した際に詠んだ歌、佐々若狭元綱の嫡男が死んだ際に元綱に贈った歌、鹿猟の際多くの酒肴を持ってきた山岡右京へ贈った歌、寺の和尚達を集め、無礼講になったときの話など。
最後に成実が「一生のうちに詠んだ詩歌や狂歌は限りがない。だが、あまりに永いので記すことができない。ここまででやめておきましょう」と締めている。
【20130712追記】
詩歌の訳は無理でしたが、エピソードの簡単な説明だけ現代語にしました。
歌そのものの意味よりも、政宗の小ネタ集のような感じの章です(笑)。
笑えるのは伊達家の恐るべき「乱酒」率…!(笑)要するに無礼講というか、らんちき騒ぎという感じなのでしょうね。膝枕するエピソードや僧侶とのエピソードも楽しい(?)です。
「政宗は言うに及ばず〜」という成実の一言に笑いが止まりません。佐々若狭への見舞いや内馬場縫殿助を許すエピソードなど、政宗の家臣への思いやりが見えて興味深い。
そして、近衛殿こと近衛信尋との歌の交流(添削をお願いしていた)もまた興味深い。
近衛信尋を中心としたサロンに藤堂高虎・柳生宗矩らと出入りしていたようです。ここら辺のことは江戸中期の学者新井白石が男色エピとして上げているそうですが、私はかいてあるよと男色の本で紹介されてるのを読んだだけで、白石の原文を読めていません…。
私は詩歌の善し悪しは全くわからないのですが、政宗の歌はどうなんでしょう?
閑所で和歌の本を読みふけって、いろいろメモったりしてる政宗を想像すると、オタクとして非常に親近感持てます…(嫌な親近感ですね…)。
政宗は現代人の大学生なら文学部文学科日本文学専攻とかで、和歌の論文かきそうですよね(跡継ぎなので就職率とか考えなくていい人…なんと羨ましい…)。

*1:寛永三年

*2:近衛信尋

*3:元綱

*4:敏綱

*5:元定

*6:泰長

*7:武家が外出の際に必要な調度装身具を納め従者にかつがせたもの。長方形の浅い箱で、ふたに棒を通してかつぐようにしたもの

*8:近衛信尋に褒められた武蔵野の歌・不二の歌についての文