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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『政宗記』11-6:鹿猟事

『政宗記』11-6:鹿猟のこと

原文:

同(寛永)十三年丙子正月十九日に若林を立、三日路先の十五浜といふ島へ出給ひ、鹿猟をし給ふ。去程に、道中も爰彼処、様々の遊山のみにて通給へり、其頃南次郎吉・加藤十三郎といふ寵愛の小姓、彼等二人を始め、何れも小姓共へ宣ひけるは、「此行先の留りに、横川といふ舟着あり、小地なれども作事抔は、仙台もさのみ高下なく、北上川の湊にて、奥の都なり、若年の者どもに是を見せん」と宣ひ、軈て其夜の寓なり。爾るに、彼横川昔に違ひ、今又さびたること中々見間違ひ、横川と云へば社横川なれ、昔の形は少しもなし、政宗是を見給ひ、以の外気色かはりて、「いかなればヶ程には淋たるぞ、事の子細を申上よ」と宣ひ、役人名主に至るまで、緊く穿鑿腹立し給ひ翌日朝の狂歌に、

 堅ならば足袋や拾の緖にもせん何の役にも立ぬ横川

と詠み給ふ。其日に那振といふ島の仮屋へ著給ひ、翌日は休息、夫より山へ取付、日々の鹿猟也。去ば追留の山不思議なることには、朝巻籠たるにもみへざりける鹿三つ、追出て馳行、白きこと誠に驄に加へ、政宗彼鹿を見玉ひ、扨も珍敷事哉、手柄次第に虜れと宣ふ。いかにもしてこれを虜り、目に立んと諸人進みけれども、二つは洩て、今一つも洩るけしきなるを、自身打留給ふことも、怪きことの瑞相にも是有り哉、惣じて山中にて宣ひけるが、彼島へ出ること此限りとの心にて、名残なりと度々宣ひけるが、彼島より立給ふ宵は、雨降て一日逗留、其明日の認めいつよりも早く過、其上の咄に、何れも能承れ、皆人々は最期の辞世とて歌を詠じ侍る、予が年形如くなれば、此島へ出ること是限ならん、名残のために一首連んとて、

 曇なき心の月を先達て浮世の闇を晴てこそ行

と詠じ那振を立給ひけるが、其身逝去なれば、右歌の辞世と成けることは哀れなりしことどもなり。

地名・語句など

那振(なふり):名振

現代語訳

寛永13年正月19日に若林を立ち、三日行った先の十五浜という島へお出になり、鹿猟をなさった。行く途中にもそこここに気晴らしの外出によいところがあり、通っておられた。
その頃南次郎吉・加藤十三郎という、寵愛しておられた小姓がおり、彼等二人をはじめ、小姓たちみなに「この行き先の途中に、横川という船着き場がある。とるにたりない小さな場所であるが、つくりなどは仙台などにも劣らず、北上川の港であるので、奥の都である。若い者たちにこれをみせよう」と仰せになり、やがて、その夜の仮屋についた。
しかし、この横川というところが、昔とちがってしまい、いま非常に寂れていて、見違えるほどであり、横川と言えば横川ではあるが、昔の形は少しもなかった。
政宗はこれを御覧になり、思っていたよりも顔色を変え、「どうしたらこれほどに寂れてしまうものか、詳細を申し上げよ」とおっしゃり、役人・名主に至る迄、厳しく問い詰め、お腹立ちになった。
そして翌日の朝、狂歌として
 堅ならば足袋や拾(ゆかけ)の緖にもせん何の役にも立ぬ横川
とお読みになった。
その日に那振(名振)という島の仮屋へお着きになり、翌日はお休みになり、それから山へでかけ、数日鹿猟をなされた。
さて追い取りをした山で不思議だったことに、朝、滅多に見られない鹿が三頭、追って出て、馳せ行きた。その白さは驄(青白色の馬)よりも白いほどであった。政宗はこの鹿をごらんになり、なんと珍しいことであろうか、力量有る者は生けどれとおっしゃった。みなどうにかしてこれを生け捕り、目立とうと近寄ったが、二つはとりもらし、また一つも取りもらしそうになるのを、政宗が打ち止めなさったのも、不思議なことのしるしであるかなと、すべて山の中で仰せになったことだが、この島へくるのはもうこれが最期であろうと心持ちであったので、名残惜しいとたびたび仰っていた。
この島より出立なさる夜は雨が降って、もう一日逗留することになり、その翌日の朝食はいつもよりも早く過ぎ、そのあとのお話の際に、「いずれもよく聞け、みな人々は最期の辞世として歌を詠じる。私もその年の頃であるので、この島へ出ることは今回限りであるだろう。名残のために一首連ねよう」と、
 曇なき心の月を先達て浮世の闇を晴れてこそ行
と詠じ、那振をお立ちになったが、その後御逝去なさったので、右の歌が辞世となってしまったことはなんとも哀しいことのひとつである。

感想

寛永十三年、政宗の逝去する年の鹿猟についての記事です。
すこし寂しげな記事です。
口ぶりからすると、若い頃よく行って楽しんだであろう船着き場が見るかげもなく寂れていて、残念なあまりに詠んだ狂歌。
そして辞世の句としては「照らしてぞゆく」の方が有名ですが、「晴れてこそ行く」の方の辞世を詠んだときのことです。
この歌が辞世となったことを悲しがる筆者(=成実)の哀切な心持ちと一緒に、なんとも切ない記事です。