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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

2014夏亘理御霊屋御開帳

■おや? 今年16日が土曜日か…。17日まで休みだし、15日東京にいるから、亘理経由で帰ろう!と突然思い立ち、ご開帳いってきました。
若干しとしとと雨の降る中、11時から説明会がありました。老若男女50名ほどが雨の中静かに説明を聞きました。(このエントリの情報は特に明示していないものは学芸員さんの説明と、配られた史料からのものです)
内容は
  • 大雄寺の来歴(元は雄山寺)/一度火災で焼失して古い文書が残っていない

  • 元は亘理氏(武石氏)の居城である小堤城(おづつみじょう)であり、土塁などに名残がある。見晴らしが良く、沢も有り、中世の城の特徴を残している。/山門の話など。

  • 亘理伊達家の歴代墓所について:敷地内にない正室たちの説明/成実御霊屋背後にある盛り土(切り株がふたつあるところ)が岩城御前の墓であろうと推測されること/もともとの区画は成実のものだけ別の入り口から登るように、宗実墓との間に区切りがあったと推測されるが、場所がなくなっていくにつれ、様式を変え建て増していったことがわかる。

  • 5代実氏は亘理伊達家中公の祖であったので特別に御霊屋が建てられたと推測される。質素なのは享保年間(吉宗の代)だったため?

  • 実元位牌堂について:建立されたのは天保年間、実元の250回忌に建てられた/実元の墓自体は福島市陽林寺にある/中に納められているのは4つの位牌(新しい実元の位牌①・古い実元の位牌②・②と同じくらいの古さだけれども文字が消えてしまっている位牌③・老朽化して下の部分が折れてしまっている位牌④)→詳しくは後述

  • なぜ1/16・8/16に開帳するのか?:そもそもいつから開帳がはじまったかは不明/この辺りの風習で正月15日までは墓参りしてはいけないという風習があり、16日が墓参りする日であること/8月が盆であるから、自然と正月と盆の16日になっていったのではないか

  • 震災と亘理

実元位牌堂の謎の位牌について

上述の④の位牌は「高佃寺殿左京兆直山乂公大居士」とある。左京兆は伊達家当主が受勲していた「左京大夫」のことと思われ「直山」の山号は政宗の曾祖父、13代目当主稙宗のものである。一般的に知られている稙宗の戒名は「智松院殿直山圓入大居士」であるが、この位牌は?

  • 稙宗は天文の乱後丸森に隠居させられ、永禄8年死去。記録には松森の智松院を建て弔われたが、その後政宗の代(慶長期)に東昌寺の大有和尚(稙宗の子)が弔うまで、本家では晴宗・輝宗の代を通して稙宗を弔っていなかったと推測される。
  • 松音寺に葬られたとあるが、実際は稙宗の墓は福島の陽林寺にあり、分骨説もあるが、詳細はわからない。そして実元の墓所も陽林寺にある。成実が大雄寺を建立したときに実元と稙宗の位牌をここに奉じた。はじめ稙宗の弔いを実元・成実親子が行っており、その後政宗の代で本家で弔うようになったのではないかと推測される。

という説明でした。

あと個人的な見解ですが、一緒に収納されていた名前の消えてしまっている③の位牌は、多分実元の室である鏡清院なんじゃないかな…と思います。一般的に考えて。

 
というわけで開帳です。普段はとじられている門が開けられ、中まで入って堂の入り口が開かれており、その前で焼香することができます。
 
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木像だー!あんまりキレイにとれなくてすみません(カメラマンがへぼだから…)話には聞いていたけれど、思ったよりちっちゃい、指と目とか意外に精巧、前立ては後ろや前からも毛が出てるから、やっぱり毛虫…などといろいろ見つつ。
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横には宗実のお墓。
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手前左位牌が②、右位牌が④、奥左が③、奥右が①。
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これが稙宗?の位牌と思われる④
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これは雄山とかいてある古い方の実元の位牌と思われる②
 
この稙宗の葬礼を大森ー亘理伊達家がやっていたのではないか?というのが一番興味深い話で、某さんとか某さんが喜びそうなお話しでした。先日陽林寺で実元・稙宗の墓を見てきたばかりだったこともあって、うわーとなりました。
 
で、話は変わってもうひとつ称名寺という寺があるのですが、二代の宗実の親族はそちらにあり、宗実もそちらの方に力をいれていた…と学芸員さんが仰っていたので、一度も行ったことがなかったので、いってみました。すると!
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樹齢700年のシイの木が。
そして奥にはもうひとつシイの木があり、承応事件で自害した柴田実氏(宗実の母方従兄弟)とその父常弘の墓がまるで守られているかのように立っていました。生母柴田氏の墓もそこに。
鹿の角折ったり、承応事件で忠宗に反抗したりと強いイメージのある宗実ですが、この墓地を見てちょっと印象が変わりました。
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もう一度戻って御霊屋裏の土塁から亘理鳥の海を眺める。亘理を含む被災地の復興を心よりお祈りします。成実も見たかもしれない風景。
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そしていつものごとく亘理神社へ。雨が降っていなかったらもうちょっと長居したかったのですが…。墓は子孫のかたのものだけれども、神社ならファンが行ってもいいような気がしますです(笑)。
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そしてヨークベニマル亘理店の裏の小十郎と成実の功績を記した桶をいつものように眺めて帰ろう…と思ったら、跡だけ残して撤去されてる!どうして!何があったの!(泣)
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ふとみたら御霊屋入り口のところにいた毛虫君。
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どうでもいいですが、回る寿司が私の地元の回らない高い寿司より数段レベル上でとっても美味しかったです…。
 
このあと仙台でブラブラして夜行バスが予約ミスで帰れなくなりかける(泣)というミスもあり、かけずり回ったのですが、仙台在住の某さんと某さんに助けていただいて、翌日どうにか帰れました。
なんとなく亘理伊達家と成実のパーソナルヒストリー(武将だけでなく、領主としての)と、そういう成実の希望としての宗実というのをちょっと考えました。
でも鹿の角折ったのが、幕末あたりにあつめられた逸話とかでなく、世親家譜に載るレベルのオフィシャル?逸話だったことに衝撃をうけました…。宗実君つよい…。こわい…。武闘派…。