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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』35:月鑑と安芸

『伊達日記』35:月鑑と安芸

原文

一百々鈴木伊豆守、古川の北江左馬丞中途へ罷出新沼へ使を越、大谷加沢呼出候而申候は、泉田安芸守と深谷月鑑両人人質に相渡され候はば、諸軍勢は除為しめ申べき由申候。大谷賀沢引こもり其由申候処に、泉田安芸守家中溜村源左右衛門と申もの申候は、中々多勢へ切入て打死は覚悟のまへに候。諸勢を除為しめ候て安芸守一人、末には縛首をきられ申すべく候間、死後の恥辱に罷成候條、安芸守は合点申され間敷由申候。月鑑申され候は、我等共両人證人に渡諸軍勢相扶申事故政宗公迄御奉公に罷成候間、是非證人に渡し申すべく候。安芸守殿はなにと思召候と申され候。又源左右衛門申候は、貴殿御心中疾に推量申候由にて口論仕候処に、安芸守申されけるは、源左衛門申事無用に候。我等人にもかまい申さず、一人にても人質に相渡諸勢を相扶申すべき由申され候て、其通鈴木伊賀守北江左馬允所へ申ことはり候。右より月鑑人質に相渡すべき由申され候間、両人共に二月廿三日新沼を出て蟻カ袋と云所へ参られ候間、諸勢松山へ引除候。浜田伊豆、小山田惣右衛門、山岸修理、米澤へ参られ大崎の様子申上られ候。御意には、今度は余深働仕越度を取候。重ては氏家に仰合され桑折室山二ヶ所の城を取、弾正折加候様になさるべき御意に候。

語句・地名など

鈴木伊豆→鈴木伊賀
北江左馬丞→北郷左馬尉
深谷月鑑斎→長江月鑑斎
溜村源左右衛門→湯村源左衛門

現代語訳

一、百々の鈴木伊豆守、古川の北江左馬丞途中まで来て、新沼へ使いを寄越し、大谷・加沢を呼び出していったのは、泉田安芸守と深谷月鑑斎両人を人質に渡されるのであれば、諸軍勢は退却させることをおっしゃった。大谷・加沢が戻りそのことを言ったところ、泉田安芸の家中に溜村源左右衛門という者がいうには、多勢の中に切り入って、討ち死にするのは覚悟している。諸勢を退かせて、安芸守一人が最終的には首を切られるであろうから、死後の恥辱になるので、安芸守は合意しないであろうと言った。
月鑑斎は、我等二人を証人として渡し、諸軍勢を助けることが政宗への一番の奉公になるから、是非ともとも証人に渡すのがよい、安芸守殿はなんと思って居るのかと言った。また源左衛門が言うには、あなたの心の中はすぐにわかることであると言って口論になった。
安芸守は源左衛門の言うことは無用のことである。私は人にかまうことなく、一人であっても人質として渡され、諸勢を助けるべきであると仰ったので、その通り鈴木伊賀守・北江左馬尉へ言い、断った。
以上のことから、月鑑斎人質に渡すべきであると言ったので、二人とも2月23日新沼を出て、蟻ガ袋というところへ来たので、諸勢は松山へ退却した。
浜田伊豆・小山田惣右衛門・山岸修理は米澤へ来て、大崎の様子を申し上げた。政宗は、今回は敵地へ深入りして、落ち度を取った。次は氏家に言い合わせ、桑折・師山二ヶ所の城をとり、弾正の言うとおりにするべきであると仰った。

感想

人質をめぐるやりとりです。