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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』52:田村衆の参上

『伊達日記』52:田村衆の参上

原文

月斎。刑部少は申に及ばず。梅雪。右衛門大輔其外相馬へ申合候衆も表立候衆の分宮森へ参。石川弾正御退治成られ。田村迄かたまり目出度由申上られ候。其内常盤伊賀守各相談の砌伊達へ頼入るべき由申出候付。何も其に落居の由聞召され御大慶に思召され候由御意にて金のし張の御腰物下され候。

語句・地名など

現代語訳

月斎・刑部少輔はいうに及ばず、梅雪・右衛門大輔その他相馬と申し合わせていた衆も表だった者たちも宮森へ参り、政宗が石川弾正を退治なさったので、田村まで団結し、めでたいことだと仰られた。そのなかに常盤伊賀守はそれぞれ相談をしていたとき、伊達へ頼るべきであると言っていたので、みなそれをもとに落城したと政宗はお聞きになり、大変お喜びなされたので、金熨斗張りの刀をお与えなされた。

感想

合戦後の後始末。これが政宗22歳のときのことです。